2010年03月19日
いざ東京へ
明日、イベント↓ に参加するため上京します。久しぶりの東京だから楽しみ。
翻訳ミステリー大賞シンジケート

某サイト↓ の管理人さんと仲良く二人で。
レイモンド・チャンドラーの世界

でも、人見知りするたちなのでちょっと心配。誰にも話しかけられずに酒ばかり飲んでぐだぐだになりそう。

失敗談は後日ご報告させていただきます。
翻訳ミステリー大賞シンジケート

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レイモンド・チャンドラーの世界

でも、人見知りするたちなのでちょっと心配。誰にも話しかけられずに酒ばかり飲んでぐだぐだになりそう。

失敗談は後日ご報告させていただきます。
2010年03月17日
アイルランドの哀しき湖

今日はアイリッシュの人びとにとって大切な祝祭日のひとつ、セント・パトリック・デイです。
ニューヨークはこの数日、5番街のセント・パトリック教会を中心にアイルランドのナショナル・カラーの緑色に染まります。
クリスマスやイースターといったキリスト教の行事は、本来の意味合いから欧米では静かに過ごすのが一般的ですが、本国での事情はさておき、セント・パトリック・デイにしてもハロウィンにしても、アイルランド発祥の祝祭日は賑やかで外向きな印象を受けます。民族性でしょうかね。
彼の意識を取りもどさせたのは、冷たさだった。湿原の穴の氷のような水に落ちた瞬間、まぶたが開いて、自分はここで死ぬのだと直感的に悟った。殺されるためにこの場所に連れてこられたのだ。そのために生まれてきたのだ、と。ところが、体のほうはまだ納得しきれていないようだった。目覚めたはずなのにもうろうとしている頭を、彼は左右に振った。これは現実か、ただの予知夢なのか。思い出せるのは、走って逃げたこと、斜め横から殴打されたこと、そして、その前は-
アイルランドの泥炭湿地から、“三つの死”の儀式を施された鉄器時代の遺体が出現した。解剖学者ノーラは、その保全作業を手伝うため現地に赴く。ところが近くの地中から、同じく“三つの死”の儀式を施された現代の遺体が見つかった。それを皮切りに、ノーラのまわりで次々と不可解な殺人事件が発生する。しかも恋人である考古学者コーマックがその連続殺人事件の容疑者となってしまい……。
カヴァーあらすじより
アメリカの女流作家、エリン・ハートのアメリカ人女性ノーラと恋人のコーマックのシリーズの第2作で、前作の「アイルランドの柩」に続き、本書も泥炭地で死体が発見されたことが事件の端緒となります。舞台はアイルランド中部、オファリー県タラモアの郊外。そう、タラモア・デューが誕生した町の近くです。
名前からして作者はアイルランド系でしょう。母国のケルト文化への憧憬を横糸に、法医学の知識を縦糸に紡ぎ出された、陰翳に富んだゴシック・スリラーです。丁寧な訳文もいいです。
「マイケル・スカリーからは、いつでも一杯やりに来なさいと言われているんだ」コーマックが、夕食を終えたあと言った。「今夜行ってみようか、きみさえよければ。マイケルは特別な客のためにティアコネルのシングルモルトを用意しているんだが、ぼくたちにもその資格はあると思う。ずっときみに会いたがっているからね」
ティアコネルとはまたしぶい。
ティアコネル、もしくはターコネルは、ウイスキー・マガジンでも注目されているアイルランド第3のウイスキー・メーカー、クーリー社の銘柄です。
スカリーは小ぶりのタンブラーにウイスキーを注ぎおえると、ふたりそれぞれに手渡した。泥炭を燃やしたときと同じ甘い煙の香りがする。このウイスキーをすすりながらマイケルとゲイブリエルとコーマックが夜遅くまでは話し込んでいるさまが、ノーラの頭に浮かんできた。スカリーが自分のグラスを掲げた。「ゲイブリエルの口癖だったが、“ガ・ムビエリミッジ・ビオー・エグ・アン・アム・シオ・アリーシ!”われわれみんなが来年のいまごろも生きていますように!」旧友の乾杯の決まり文句を唱える威勢のいい声には、一抹の寂しさが感じられた。三人はゲイブリエルを思って黙々とグラスを傾けた。
クーリー社がスコッチ・ウイスキーの技術を導入するまで、ピーティなアイリッシュ・ウイスキーは見当たりませんでした。アイリッシュ・ウイスキーの特色は、なんといってもモルティでオイリーな風味ですし。ただ、まったくなかったわけではなくて、モルティングに向いているピートが採れた北部では、20世紀の前半までピーティッド・モルトで仕込んだウイスキーが造られていました。
1876年、アンドリュー・A・ワット社のオーナーが所有していた競走馬が、クラシック・レースのアイリッシュ・プロデュース・ステークスに出走し、100倍ものオッズがつくなか、予想を覆して勝利を収めました。歓喜した彼は、愛馬の名前を冠したウイスキーを市場に送り出します。それがティアコネルです。
アイルランドは競走馬の産地として知られ、また、ウイスキーに関わる人びとはいずこも競馬好きらしく、スコッチとバーボンにも、ロイヤル・アスコットやオールド・バーズタウンなど、競走馬やレースにまつわるネーミングのウイスキーを多く見かけます。

ティアコネルとは、ゲール語で「オドンネルの土地」を意味し、はるか昔、アルスター地方のドニゴール一帯を治めていた王国の名前に由来します。ドニゴールは、同じく「外国人の砦」を意味します。
1762年にデリー県ロンドン・デリーのアビイ・ストリートで創業したアンドリュー・A・ワット社を代表する銘柄で、20世紀の初頭まではアメリカに輸出するほどの人気がありました。しかし、禁酒法の影響で経営に行き詰まり、18世紀に修道院跡に建てられた由緒あるワット蒸留所は、1925年に閉鎖に追いこまれました。
時代は下って1992年、クーリー社は最初のブランドにティアコネルと名づけます。そして、同社がミドルトン、オールド・ブッシュミルズ、共和国に限ればミドルトンのみ、に次ぐ蒸留所として認められるきっかけを掴んだ、記念すべきシングルモルトとなりました。
わずか3年から4年の熟成とは思えないほど味わい深く、ジム・マーレー氏は、「ほのかにスパイシーで豊かなモルトの風味と、素晴らしくバランスがとれた重みのあるボディ」と称え、マイケル・ジャクソン氏は、「より穀物っぽく、ほのかに木炭をともなう」と74点の高評価を与えています。
クーリー社のシングルモルトのラインナップでは、ヘヴィー・ピーティなカネマラ、ノン・ピートのロックス、ティアコネルはその中間に位置づけられるでしょう。
でも、いくら出来がよくてもクーリー社のウイスキーをアイリッシュ・ウイスキーとは認めない、頑固なアイリッシュ・ウイスキー好きも少なからずいるんだな。ぼくも含めて。
とにかく、今夜は「ガ・ムビエリミッジ・ビオー・エグ・アン・アム・シオ・アリーシ!」で「スランチャ!」といきますか。
シリーズ・リスト
2010年03月13日
ノーブルロード
前回の「サンドリンガム館の死体」に続き、今回もエリザベス女王絡みのミステリーを取り上げます。

女王陛下を暗殺せよ! アイルランド解放戦線(IRA)は途方もない計画を実行に移そうとしていた。決行は6月3日、ダービー当日のエプソム競馬場。レース前に女王自らパドックへ降りて出走場を見るという習慣があるのだ……。IRAの計画を事前に知った警察当局の打つ手はナニ?
英国を狙ったテロといえば、イスラム原理主義者による2005年のロンドン同時爆破事件が記憶に新しいのですが、1990年代までは、IRA、アイルランド共和国軍の犯行がすべてでした。無論、英国の象徴たるロイヤル・ファミリーも標的にされ、1979年のマウントバッテン卿暗殺事件は世界に衝撃を与えました。
格好のテーマをミステリー作家が見逃すはずもなく、この「ノーブル・ロード」もそのなかの一冊です。作者は、ピーター・ローダーよりもビーター・カニンガムのペンネームで日本では知られています。
一流の作家ではないけれど、かなり出来のいい作品です。カリブ海の小国から、イングランド、アメリカ、アイルランドと次つぎと舞台が変わり、さきに裏表紙のあらすじに目を通していなかったら、まったく予想のつかないスピーディーでスリリングな展開でした。読後の余韻も悪くない。新潮文庫版から10年も経って原書房が再刊したのも、それだけ評価が高かった証しでしょう。
リーマン・ショックに見舞われるまでは好景気に沸き、「ケルティック・タイガー」ともてはやされたアイルランドも、いまやユーロ圏のお荷物に落ちぶれて「ピッグス」と豚扱いです。同じく、製造業を捨て金融に生き残りをかけたためにデフォルト寸前の英国といい、国内の不満が両者の対立にエスカレートしないか、他人事ながら心配ですね。

つぎは、エリザベスはエリザベスでもあの「処女王」エリザベス1世が主人公の歴史ミステリーの「毒の庭」です。
16世紀英国。幽閉中の王女エリザベスは、伯母が何者かに命を狙われていることを知り、密かに脱出した。が、駆けつけた直後、伯母は毒を盛られて殺されてしまう。哀しみのなか、男装して身分を隠したエリザベスは犯人を追うが、彼女の身辺にも危険な罠が!
英国史をご存じのかたなら、さぞかしおどろおどろしい内容かと思いきや、ロマンチックでユーモラスな物語です。なにせ、邦題にも女王探偵エリザベスⅠ世、なんて脱力しそうなサブタイトルがつけられているぐらいですから。
本国では9作も続いている人気シリーズらしいです。展開を知りたいような知りたくないような。
エリザベス1世と、本書にも登場するブラディ・メアリーことメアリー・テューダーは、ウイスキーと浅からぬ因縁があります。もちろん、当時は今日いうところのウイスキーはまだ造られていません。ウイスキーの誕生を結果的に二人が促したのでした。
ヘンリー8世がメアリー・テューダーの母親のキャサリン・オブ・アラゴンと離婚したいがために、それを認めないローマ法王と決別し、プロテスタントに改宗して英国国教会を開いたエピソードは、英国史における最大のトピックでしょう。
英邁を謳われたはずの王の身勝手な行状は、のちのハイランドのクランの没落やクロムウェルの台頭など、近隣のスコットランドとアイルランドの人びとにとりわけ不幸を招きました。
ただ、ヘンリー8世がカトリック教会と僧院の閉鎖を命じたことで、それまで秘伝とされていた酒造りの技術が広まり、エリザベス1世の時代に大いに発展しましたし、さらに、スチュアート朝の支持者、いわゆるジャコバイトが多かったハイランドのムーンシャイナーによって、スコッチ・ウイスキーがピーティな風味を、麦芽の使用を制限されたアイリッシュ・ウイスキーがモルティでオイリーな風味を、いずれも新旧キリスト教の対立を背景に、迫害されたがゆえに今日の特色を得られたわけで、我々にとってむしろ好ましい結果がもたらされたのは、歴史の皮肉としかいいようがありません。
コロンブスを援助して後世に名前を遺したスペインのイザベル女王の孫娘で、熱心なカトリック教徒だったメアリー・テューダーは、1553年、内乱のすえに即位すると、国教をカトリックに戻してプロテスタントの宗教家に惨たらしい弾圧を加えたので、「血まみれメアリー」と恨まれました。処刑された指導者は、カンタベリー大主教を筆頭に3百人にも達します。
メアリー・テューダーの夫君は、スペインの最盛期に君臨したフェリペ2世です。血みどろの政争を生き抜いてメアリーの王位を継いだエリザベス1世の臣下、フランシス・ドレイク率いる艦隊が、1588年にフェリペ2世の無敵艦隊と戦い勝利したアルマダの海戦は、キリスト教世界のなかで英国の地歩を固めるきっかけになります。
生涯を独身で通したエリザベスは、みずから断頭台に送ったクイーン・オブ・スコッツ、メアリー・スチュアートの息子のジェームズ1世、スコットランド王としてはジェームズ6世、に、英国の行末を託さざるをえませんでした。しかし、スチュアート朝も名誉革命でわずか2代で廃絶に追いこまれ、王政復古を経て、現在のウィンザー朝へと続くハノーヴァー朝が成立します。
フェリペ2世の祖母がキャサリン・オブ・アラゴンの姉のフアナの関係といい、ヨーロッパ全土を巻きこんだ愛憎渦巻くホームドラマですな。
そんじょそこらのミステリーより面白いかもしれない。
次回は、セント・パトリック・デイにちなんでアイルランドが舞台のミステリーを紹介するつもりです。

女王陛下を暗殺せよ! アイルランド解放戦線(IRA)は途方もない計画を実行に移そうとしていた。決行は6月3日、ダービー当日のエプソム競馬場。レース前に女王自らパドックへ降りて出走場を見るという習慣があるのだ……。IRAの計画を事前に知った警察当局の打つ手はナニ?
カヴァーあらすじより
英国を狙ったテロといえば、イスラム原理主義者による2005年のロンドン同時爆破事件が記憶に新しいのですが、1990年代までは、IRA、アイルランド共和国軍の犯行がすべてでした。無論、英国の象徴たるロイヤル・ファミリーも標的にされ、1979年のマウントバッテン卿暗殺事件は世界に衝撃を与えました。
格好のテーマをミステリー作家が見逃すはずもなく、この「ノーブル・ロード」もそのなかの一冊です。作者は、ピーター・ローダーよりもビーター・カニンガムのペンネームで日本では知られています。
一流の作家ではないけれど、かなり出来のいい作品です。カリブ海の小国から、イングランド、アメリカ、アイルランドと次つぎと舞台が変わり、さきに裏表紙のあらすじに目を通していなかったら、まったく予想のつかないスピーディーでスリリングな展開でした。読後の余韻も悪くない。新潮文庫版から10年も経って原書房が再刊したのも、それだけ評価が高かった証しでしょう。
リーマン・ショックに見舞われるまでは好景気に沸き、「ケルティック・タイガー」ともてはやされたアイルランドも、いまやユーロ圏のお荷物に落ちぶれて「ピッグス」と豚扱いです。同じく、製造業を捨て金融に生き残りをかけたためにデフォルト寸前の英国といい、国内の不満が両者の対立にエスカレートしないか、他人事ながら心配ですね。

つぎは、エリザベスはエリザベスでもあの「処女王」エリザベス1世が主人公の歴史ミステリーの「毒の庭」です。
16世紀英国。幽閉中の王女エリザベスは、伯母が何者かに命を狙われていることを知り、密かに脱出した。が、駆けつけた直後、伯母は毒を盛られて殺されてしまう。哀しみのなか、男装して身分を隠したエリザベスは犯人を追うが、彼女の身辺にも危険な罠が!
カヴァーあらすじより
英国史をご存じのかたなら、さぞかしおどろおどろしい内容かと思いきや、ロマンチックでユーモラスな物語です。なにせ、邦題にも女王探偵エリザベスⅠ世、なんて脱力しそうなサブタイトルがつけられているぐらいですから。
本国では9作も続いている人気シリーズらしいです。展開を知りたいような知りたくないような。
エリザベス1世と、本書にも登場するブラディ・メアリーことメアリー・テューダーは、ウイスキーと浅からぬ因縁があります。もちろん、当時は今日いうところのウイスキーはまだ造られていません。ウイスキーの誕生を結果的に二人が促したのでした。
ヘンリー8世がメアリー・テューダーの母親のキャサリン・オブ・アラゴンと離婚したいがために、それを認めないローマ法王と決別し、プロテスタントに改宗して英国国教会を開いたエピソードは、英国史における最大のトピックでしょう。
英邁を謳われたはずの王の身勝手な行状は、のちのハイランドのクランの没落やクロムウェルの台頭など、近隣のスコットランドとアイルランドの人びとにとりわけ不幸を招きました。
ただ、ヘンリー8世がカトリック教会と僧院の閉鎖を命じたことで、それまで秘伝とされていた酒造りの技術が広まり、エリザベス1世の時代に大いに発展しましたし、さらに、スチュアート朝の支持者、いわゆるジャコバイトが多かったハイランドのムーンシャイナーによって、スコッチ・ウイスキーがピーティな風味を、麦芽の使用を制限されたアイリッシュ・ウイスキーがモルティでオイリーな風味を、いずれも新旧キリスト教の対立を背景に、迫害されたがゆえに今日の特色を得られたわけで、我々にとってむしろ好ましい結果がもたらされたのは、歴史の皮肉としかいいようがありません。
コロンブスを援助して後世に名前を遺したスペインのイザベル女王の孫娘で、熱心なカトリック教徒だったメアリー・テューダーは、1553年、内乱のすえに即位すると、国教をカトリックに戻してプロテスタントの宗教家に惨たらしい弾圧を加えたので、「血まみれメアリー」と恨まれました。処刑された指導者は、カンタベリー大主教を筆頭に3百人にも達します。
メアリー・テューダーの夫君は、スペインの最盛期に君臨したフェリペ2世です。血みどろの政争を生き抜いてメアリーの王位を継いだエリザベス1世の臣下、フランシス・ドレイク率いる艦隊が、1588年にフェリペ2世の無敵艦隊と戦い勝利したアルマダの海戦は、キリスト教世界のなかで英国の地歩を固めるきっかけになります。
生涯を独身で通したエリザベスは、みずから断頭台に送ったクイーン・オブ・スコッツ、メアリー・スチュアートの息子のジェームズ1世、スコットランド王としてはジェームズ6世、に、英国の行末を託さざるをえませんでした。しかし、スチュアート朝も名誉革命でわずか2代で廃絶に追いこまれ、王政復古を経て、現在のウィンザー朝へと続くハノーヴァー朝が成立します。
フェリペ2世の祖母がキャサリン・オブ・アラゴンの姉のフアナの関係といい、ヨーロッパ全土を巻きこんだ愛憎渦巻くホームドラマですな。
そんじょそこらのミステリーより面白いかもしれない。
次回は、セント・パトリック・デイにちなんでアイルランドが舞台のミステリーを紹介するつもりです。
2010年03月09日
サンドリンガム館の死体

バンクーバー・オリンピックの開催中に、何回かにわたってカナダのミステリー作家とカナディアン・ウイスキーを紹介するつもりだったのが、ディック・フランシスの突然の訃報と、件の二日酔いですっかり予定が狂ってしまいました。でも、せっかくだからあと一作、おつき合い願います。
エリザベス女王の別邸での休暇が台無しだーティアラまでつけた女王そっくりの死体が、領内で発見されたのだ。最近、王室を攻撃していた過激団体の仕業なのか? メイドのわたしは女王の命令で、密かに調査を始めた。やがて、死んだ女性の謎の多い生活ぶりが明らかになるが、その直後、第二の殺人が!
カヴァーあらすじより
エリザベス2世に仕えるメイドで、ロイヤルレジデンスで起こった殺人事件の犯人を女王の耳目となって追いかける、元気いっぱい好奇心いっぱいのカナダ娘、ジェイン・ビー・シリーズの第2作です。
本当はエリック・ライトの作品を選びたかったのですが、邦訳されているトロント市警のソールター警部シリーズの4作と、ノンシリーズの「ロージー・ドーンの誘拐」にウイスキーを飲む場面がまったく見当たらず、記事の切り口を思いつかなかったので今回は諦めました。
前作の「バッキンガム宮殿の殺人」で、畏れ多くもエリザベス女王を殺人事件の第一発見者にしちゃったベニスンは、本書では、よりにもよって女王の仮装をした死体と女王を対面させます。
ロイヤリストの批判をものともしない作家の勇気に敬意を表しつつも、女王の身辺に死体がごろごろ転がっているあり得ないシチュエーションのはずが、女王の寝室に男が侵入したり、SPがジャーナリストに買収されたりと、英国王室の警護の甘さをしょっちゅう耳にしているだけに、法螺話だと一笑にふせられないあたりが、いかにも「開かれた王室」ならではの物語ですね。
主人公、エリザベス女王をはじめキャラクターがよく描けていて、女性らしい生きいきとした会話が魅力です。現実に起きた王室を狙ったIRAのテロ絡みのミステリーに比べれば、よほど罪がないでしょう。
「デイヴィー、ふらふらしてるわよ」しばらく観察したあとで、わたしはついに声をかけた。彼は思わずテーブルの端をつかんで目を閉じた。体が揺れている。
「インフルエンザにやられたらしい」デイヴィーはいった。
ナイジェルがおおげさに目を丸くして、「ふ・つ・か・よ・い」と、口の動きでわたしに伝えた。
「ナイジェル、わかっているんだぞ、その口の動き。二日酔いなんかじゃないよ」
「ゆうべはご酩酊のようすだったじゃないか」ナイジェルはおもしろがっていった。「ぐでんぐでんのへべれけ。足を取られてー」
「そんなに並べてくれなくてもけっこうだよ」
「-あっちにふらり、こっちによろり。前後不覚。人事不省。右も左もわかりゃしない」
「いいかげんにしろ!」キッチンのほうから、エリックが低い声で叱責した。「今、女王が入ってらしたらどうするつもりだ?」
デイヴィーはうめき声をもらした。「ああ、女王のためにしゃんとしなくちゃ」
「あなたたち、今度は何をやってたの?」わたしはグラスを手に取って窓のほうに透かして見た。洗っていないらしく、すっかり曇っている。それをわきにのけた。
「ゆうべ、ラジオのトーク番組に電話で参加しようとしていたんだ。テーマは“あなたがクリスマス休暇に一番寝たい相手は誰?”」
「そうねえ、わたしだったらジョージ・マイケルかな」
「驚いた! デイヴィーとおんなじこといってる。もっとも……」ナイジェルはくすくす笑い出した。「デイヴィーはすっかり酔って……。お母さんがー本当のお母さんのシルヴィアのほうだけどー送ってくれたラフロイグに酔っ払って、電話機の番号を押せなかったんだ。おっと」
手袋をはめたナイジェルの手から、フォークが高い音を立てて寄せ木の床に落ちた。
ぼくもラフロイグを1本開けて、数日、死体の気分で過ごしたことがあります。なにせ、あのクレオソート、防腐剤臭ですから。
アイラ・モルトの二日酔いの辛さは言葉で言い表せません。しばらくはラフロイグのボトルを見るのも厭でした。
それにしても、カナダの女流作家のコージー・ミステリーにも登場するなんて、ラフロイグもずいぶん有名になったものです。ただ、ここで取り上げたいウイスキーはラフロイグではなく、カナディアン・クラブです。
英国が舞台のミステリーで、なぜ、カナディアン・ウイスキーなのかといえば、小説の舞台が、カナディアン・クラブの生みの親、ハイラム・ウォーカーとゆかりの深い地方だからです。
サンドリンガム館は、ロイヤル・ロッホナガーがビクトリア女王からワラント、勅許状を下賜されたエピソードで知られる、スコットランドのバルモラル城と同じく、エリザベス女王のプライヴェートな別荘で、イングランド東部、ノーフォーク州の州都ノリッジの北西にあります。女王は夏はバルモラル城で、冬はサンドリンガム館で数週間を過ごすのが恒例です。
ノリッジは、じつはウォーカー一族の出身地だと伝えられています。
ハイラム・ウォーカーは、1816年にマサチューセッツ州のイースト・ダグラスで生まれました。
十代の半ばでデトロイトに出て衣料品店などで働き、製粉所とアップル・ビネガーの醸造所、雑貨店の経営を始めます。さらに、ウイスキー造りを手がけようとしました。しかし、ミシガン州での禁酒令の発布が迫っていたため、1856年、デトロイト川を挟んでミシガンの対岸、カナダのオンタリオ州ウィンザーに蒸留所を建設しました。
蒸留所を中心に発展した町は、1935年に市制化されたさい、ウォーカーの功績を称えて公けにウォーカーヴィルと命名されています。
ウォーカーが発売した5年もののウォーカーズ・クラブ・ウイスキーは、アメリカとカナダのおもに会員制のクラブで販売され、品質の高さで人気を博しました。
税収を得られないアメリカ政府にとっては面白かろうはずがなく、生産国名をラベルに表記することを義務づけます。ところが、当時のアメリカン・ウイスキーの多くは1年足らずの熟成で出荷されていたので、図らずも高級品として差別化でき、役人の思惑に反してウォーカーズ・クラブ・ウイスキーの売上げはいっそう伸びたのでした。
1890年、ウォーカーはブランドネームをいまのカナディアン・クラブに変更します。
さて、ハイラム・ウォーカー社とカナディアン・クラブについての説明はいったん終わりにして、さきのジョン・ベッグと王室の関わりにちょっと触れておきます。ウスケバのブロガーの皆さんには釈迦に説法だけれど。
グランピアン山脈の北麓を縫いつつ北海に流れるディー川の流域のクラティに、1845年、地元の農場主のジョン・ベッグがニュー・ロッホナガー蒸留所を創業しました。
3年後の1848年の9月、ビクトリア女王が夫君のアルバート公や子女とともに蒸留所に立ち寄ります。近くのバルモラル城に滞在していたロイヤル・ファミリーが、ベッグの招きに応じて見学に訪れたのでした。
そのときの様子をベッグはつぎのように書き残しています。
「陛下のお許しがあったので、私は早速用意しておいたウイスキー一びんとグラスを運ばせ、女王陛下にささげた。陛下は味わわれた。アルバート公も味わって下さった。ついで私は第一王女、皇太子、アルフレッド公に順にグラスをおわたししたところ、各殿下とも味わって下さった」
ウイスキー博物館 梅棹忠夫 開高健 監修 講談社
この出会いがきっかけで蒸留所は王室ご用達の栄誉を許され、エドワード7世とジョージ5世からもワラントを賜っています。ディーサイドにはほかにも蒸留所が操業していたものの、ジョン・デュワー&サンズ社、DCL、ユナイテッド・ディスティラー社とオーナーが次つぎと代わりながらも、ロッホナガーだけが生き残れたのは、やはりロイヤル・ワラントの威光のなせるわざでしょう。
シリーズ・リスト
2010年03月02日
追撃のブリザード

先週の木曜日、ちとはしゃぎすぎて二日酔いで長患いし、ぐだぐだと過ごしているあいだにオリンピックが終わってしまいました。慌ててバンクーバーが舞台のミステリーを物色したのだけれど、マイケル・スレイドの「暗黒大陸の悪霊」ぐらいで、これといった作品が見当たりません。
カナダ在住のミステリー作家といえば、エリック・ライト、ピーター・ロビンスン、C・C・ベニスン、L・R・ライト、テッド・ウッドが日本でも知られています。そのなかで、珍しいカナディアン・ウイスキーも登場するので、テッド・ウッドのベネット署長シリーズを紹介しましょう。
マーフィーズ・ハーバー主催のウインター・カーニヴァル最大の呼び物、美人コンテストの新女王は、並みいる地元の娘たちを押さえてトロントの実業家の娘ナンシー・カーマイケルに決定した。町会議長の手でナンシーの頭に冠がのせられ、万雷の拍手が轟こうとした矢先、ホールの明かりが消えた。暗い闇がホールを包む。悲鳴と怒声が入り混じるなか、リード・ベネット署長の目はフラッシュの残光で浮かび上がったステージの異変を見逃さなかった。新女王ナンシーの姿が、ステージの上から忽然と消えていたのだ!
カヴァーあらすじより
トロント市警の刑事だったリード・ベネットは、非番のときに出くわした婦女暴行事件での過剰な行動を批判され、退職を余儀なくされます。妻にも去られた彼は、人生をやり直すために、トロントのずっと北、オンタリオ州の人口2千人の小さな町、マーフィー・ハーバーの署長に雇われます。
肩書きは立派でも、フルタイムの部下は一人もおらず、頼りになるのは愛犬のジャーマン・シェパードのサムのみ。平和な田舎暮らしを望みつつも次つぎと発生する凶悪事件に、海兵隊仕込みのサバイバル術と忠実なサムを従え、リードは単身、犯人グループに挑むのでした。
ウェイトレスがあとをついてきて、そっ歯をむきだしてガムをパチンと鳴らした。「おかげで助かったわ。署長。ボスと話がしたいの?」
「降りてくるのを待つよ。あわてることはない」
「オーケイ」彼女は、ガムを鳴らして文を結んだ。「いつものやつでいい?」酒場の用心棒をつとめたお返しのことだ。私は礼を言った。ウェイトレスはブラック・ヴェルヴェットを取りにいった。警官は勤務中に酒を飲んではいけないことになっているが、ここの警察は私がひとりで切りまわしているから非番のときがないし、私はシングル一杯きりしか飲まない。
銃撃されても主人公には決して弾が当らず、毎回、ラストは女性と恋仲になったりと、良くも悪くもペーパーバック的なシリーズで、難しく考えなければそれなりに愉しめます。
ビール・クーラーや空の木箱の蔭にだれか潜んでいないことをたしかめるために、もう一度隅から隅まで調べた。だれもいないことがわかると、バーに行き、ブラック・ヴェルヴェットの壜をおろした。最高にうまかった。清冽な味が体を震わせ、やわらかな炎のようにおりていって、全身に広がった。それから私はアルミ・ホイルをキッチンから取ってきて、二階にあがった。
ベネットはウイスキーをよく口にしています。銘柄が分かっているものだけでも、本書でJ&B、第5作の「闇に吼える」でクラウン・ローヤル、とくにお気に入りはブラック・ヴェルヴェットで、第3作の「東から来た襲撃者」と第4作の「偽りのゴールド」でも飲んでいます。
ブラック・ヴェルヴェットは、ライが風味を決定づけている8年もののカナディアン・ブレンディッドで、バーンハイム、エンシェント・エイジ、オールド・フィッツジェラルドとともにシェンレー社が所有していた、ケベック州のヴァレーフィールド蒸留所で1945年に生み出されました。
当初はブラック・ラベルと名づけられましたが、1940年代の後半、蒸留所のマスター・ディスティラーのジャック・ネーピアによって、その力強くシルキーな口当たりからブラック・ヴェルヴェットにネーミングが改められました。
カナディアン・ウイスキーの製法でカナダで生産されていたものの、カナダ国内で発売されたのは1951年になってからで、近年は日本を含め世界55カ国で販売されています。
ビッグ・フォーと呼ばれ、一時は北米でのシェアをシーグラム社と競っていたシェンレー社ですが、1960年代に経営不振に陥り、グレン・アルダン、ラピッド・アメリカン、ユナイテッド・ディスティラー、シーグラム、ヒューブライエン、グランド・メトロポリタン、ディアジオ社と次つぎにオーナーが代わりました。
ヴァレーフィールド蒸留所も、1998年のディアジオ社とIDV社の合併に伴うリストラクチャリングで、翌年、コンステレーション社に売却されました。ディアジオ社は2008年に蒸留所とブラック・ヴェルヴェットのライセンスを買い戻し、アルバータ州レスブリッジのプラントにラインを移しています。

「ブラック・ヴェルヴェット・レディ」の広告は有名で、歴代のモデルのなかにはシビル・シェパードもいます。日本では、ブルース・ウィリスがスターダムに上がるきっかけを掴んだテレビ・ドラマ、「こちらブルームーン探偵社」の所長役でご存じのかたもおられるでしょう。熟女の魅力むんむんのシビルにのぼせて、NHKで放送当時、彼女が登場するシーンではテレビの画面を食い入るように観ていましたね。

そういえば、最近は滅多にときめくことがなくなりましたな。あのころに戻ってちょっとは色気づきたいです。
シリーズ・リスト
2010年02月19日
再 起
去る2月14日、英国ミステリー界の至宝、ディック・フランシスが他界しました。
卒寿も近い高齢だったのでそれなりに覚悟はしていたものの、やはりショックでした。先日のパーカーの訃報に接したときの心情を「動揺」とするなら、今回は「狼狽」したという感じです。近年、物故したミステリー作家のなかでも、その喪失感の大きさはエド・マクベイン以来でしょう。
いずれにせよ、ひと月足らずでお気に入りの作家が二人も鬼籍に入ってしまい、ただただ途方に暮れています。
そんなわけで、なにを書けばよいのか、どの作品を選べばよいのか、さんざ悩んで記事の更新が遅れました。

悲しいことだが、競馬において、死はめずらしくない。
だが、ある午後だけで三つもの死となると充分にめずらしく、たんに片眉を上げるだけではすまない。馬の死がそのうち一件だけとなると、地元警察が大急ぎで駆けつけるのに充分だ。
隻腕の調査員、シッド・ハレーが主人公の作品の4作目です。
しばらくミステリー・マガジンを購読しておらず、海外のミステリー事情に疎かった2007年の初春のある日、書店で本書を目にしたときは全身に震えがきました。というのも、フランシスの新作にはもう出会えないものとすっかり諦めていたからです。
じつはゴーストライターなのではないかと、心なき一部の連中から疑われていたほど作家の執筆を大いに援けていた、愛妻のアンリに先立たれた2000年以降、フランシスの音信は途絶えたままで、また、年齢的にも引退しておかしくなかっただけに、あとは訃報を待つばかり、みたいな思いでいました。十分に愉しませてくれたからゆっくり休んでくださいと。
だから、手にとって小躍りしながらも万感胸に迫るものがあり、しかも、シッド・ハレーものと知って不覚にも涙ぐんでしまいました。いや、本当に。
障害レースの最高峰、チェルトナム・ゴールド・カップが行われる当日、元騎手の調査員シッド・ハレーは競馬場を訪れ、建設会社を経営するジョニイ・エンストーン卿から仕事を依頼された。持ち馬が八百長に利用されている疑いがあるので、調べてほしいというのだ。彼は調教師のビル・バートンと騎手のヒュー・ウォーカーが怪しいという。
ハレーは依頼を引き受けるが、その直後、競馬場の片隅でウォーカーの射殺死体が発見された。この日、ウォーカーとバートンが罵り合っているのを多くの人が目撃していた。そしてウォーカーは前夜、ハレーの留守番電話にメッセージを残していた。レースで八百長をするよう何者かに脅されていたらしく、「言うことをきかなければ殺す」と言われたという。
やがてハレーは思わぬ経緯でウォーカーの父親から息子を殺した犯人を突き止めてほしいとの依頼を受ける。さらに知人から、ギャンブル法改正によって発生する不正についての調査も任される。こうしてハレーは三つの依頼を抱えることになった。
月曜日の朝、脚が痛むのでマリーナはベッドから出ず、私はボンド・ストリートのブティックに次々と電話をかけて生産的な時間を過ごした。
チャールズが九時半に電話をかけてきて、ジェニイの屋敷を出てクラブのバーへ行くので、用があればそっちへ電話してくれ、と言った。
「連絡をありがとうございます」私は言った。「しかし、その前にここへ寄って、数時間ばかりマリーナの世話をしてもらえませんか?」
彼が躊躇するのが感じ取れた。
「埋め合わせになりそうな上質のグレンフィディックが一瓶あります」私は言った。「それに、昼食にはスモークサーモンの片身が冷蔵庫に入っています」
「三十五分で着くよ」彼は言った。
長編だけで42作を数える「競馬」シリーズのなかで、同じ主人公の作品は、クリスマス “ キット ” フィールディングの「侵入」と「連闘」、そして、シッド・ハレーの「大穴」、「利腕」、「敵手」とこの「再起」のみです。とくに、シッド・ハレーものは、「血統」と「転倒」とも繋がっているように、フランシスの思い入れもことさら強いらしく、もし、まだフランシスをご存じないのならシリーズのとば口にお勧めします。個人的には、「興奮」のダニエル・ロークがスパイとして活躍するさまも見てみたかったですね。
チャールズをイーバリー・ストリートの護衛任務から解放しようとロンドンへ帰ると、彼はソファでいびきをかいていた。
「これではケルベロスだな」私は彼の足を揺すりながら言った。不満がこみ上げた。「警護のために来てもらったのに、眠り込んでいるとはね」
「うん、なんだ?」彼が言い、目をこすった。
「もういいです」
ともあれ、見たところ万事問題ない様子だったので、うるさく文句を言っても意味はない。だいいち、昼食にシングルモルト一本を提供したのだから、結果はわかっていたはずだ。
強面のチャールズ元海軍少将も、今回はなんだかお茶目ですな。
シッド・ハレーとチャールズについては、まだまだ語り尽くせないので、いずれ、「大穴」、「利腕」、「敵手」をフェイマス・グラウスと一緒に取り上げるつもりです。
それにしても、ドル箱のベストセラー作家を続けざまに失ってしまった早川書房は、パトリシア・コーンウェルかダン・ブラウン並みの新人でも掘り当てない限り、この痛手はなかなか埋められないでしょう。ほかの出版物にも少なからず影響するだろうし、海外ミステリーの冬の時代は、いましばらく終わりそうにもありません。
とにかく、苦しいとき辛いときに何度も元気づけてくれたフランシスに、深い感謝の念を捧げます。天国で三人で揉めちゃ駄目よ。

小自慢のフランシスの直筆サインです。額装して毎日拝んでいます。うそです。
シリーズ・リスト
卒寿も近い高齢だったのでそれなりに覚悟はしていたものの、やはりショックでした。先日のパーカーの訃報に接したときの心情を「動揺」とするなら、今回は「狼狽」したという感じです。近年、物故したミステリー作家のなかでも、その喪失感の大きさはエド・マクベイン以来でしょう。
いずれにせよ、ひと月足らずでお気に入りの作家が二人も鬼籍に入ってしまい、ただただ途方に暮れています。
そんなわけで、なにを書けばよいのか、どの作品を選べばよいのか、さんざ悩んで記事の更新が遅れました。

悲しいことだが、競馬において、死はめずらしくない。
だが、ある午後だけで三つもの死となると充分にめずらしく、たんに片眉を上げるだけではすまない。馬の死がそのうち一件だけとなると、地元警察が大急ぎで駆けつけるのに充分だ。
隻腕の調査員、シッド・ハレーが主人公の作品の4作目です。
しばらくミステリー・マガジンを購読しておらず、海外のミステリー事情に疎かった2007年の初春のある日、書店で本書を目にしたときは全身に震えがきました。というのも、フランシスの新作にはもう出会えないものとすっかり諦めていたからです。
じつはゴーストライターなのではないかと、心なき一部の連中から疑われていたほど作家の執筆を大いに援けていた、愛妻のアンリに先立たれた2000年以降、フランシスの音信は途絶えたままで、また、年齢的にも引退しておかしくなかっただけに、あとは訃報を待つばかり、みたいな思いでいました。十分に愉しませてくれたからゆっくり休んでくださいと。
だから、手にとって小躍りしながらも万感胸に迫るものがあり、しかも、シッド・ハレーものと知って不覚にも涙ぐんでしまいました。いや、本当に。
障害レースの最高峰、チェルトナム・ゴールド・カップが行われる当日、元騎手の調査員シッド・ハレーは競馬場を訪れ、建設会社を経営するジョニイ・エンストーン卿から仕事を依頼された。持ち馬が八百長に利用されている疑いがあるので、調べてほしいというのだ。彼は調教師のビル・バートンと騎手のヒュー・ウォーカーが怪しいという。
ハレーは依頼を引き受けるが、その直後、競馬場の片隅でウォーカーの射殺死体が発見された。この日、ウォーカーとバートンが罵り合っているのを多くの人が目撃していた。そしてウォーカーは前夜、ハレーの留守番電話にメッセージを残していた。レースで八百長をするよう何者かに脅されていたらしく、「言うことをきかなければ殺す」と言われたという。
やがてハレーは思わぬ経緯でウォーカーの父親から息子を殺した犯人を突き止めてほしいとの依頼を受ける。さらに知人から、ギャンブル法改正によって発生する不正についての調査も任される。こうしてハレーは三つの依頼を抱えることになった。
カヴァーあらすじより
月曜日の朝、脚が痛むのでマリーナはベッドから出ず、私はボンド・ストリートのブティックに次々と電話をかけて生産的な時間を過ごした。
チャールズが九時半に電話をかけてきて、ジェニイの屋敷を出てクラブのバーへ行くので、用があればそっちへ電話してくれ、と言った。
「連絡をありがとうございます」私は言った。「しかし、その前にここへ寄って、数時間ばかりマリーナの世話をしてもらえませんか?」
彼が躊躇するのが感じ取れた。
「埋め合わせになりそうな上質のグレンフィディックが一瓶あります」私は言った。「それに、昼食にはスモークサーモンの片身が冷蔵庫に入っています」
「三十五分で着くよ」彼は言った。
長編だけで42作を数える「競馬」シリーズのなかで、同じ主人公の作品は、クリスマス “ キット ” フィールディングの「侵入」と「連闘」、そして、シッド・ハレーの「大穴」、「利腕」、「敵手」とこの「再起」のみです。とくに、シッド・ハレーものは、「血統」と「転倒」とも繋がっているように、フランシスの思い入れもことさら強いらしく、もし、まだフランシスをご存じないのならシリーズのとば口にお勧めします。個人的には、「興奮」のダニエル・ロークがスパイとして活躍するさまも見てみたかったですね。
チャールズをイーバリー・ストリートの護衛任務から解放しようとロンドンへ帰ると、彼はソファでいびきをかいていた。
「これではケルベロスだな」私は彼の足を揺すりながら言った。不満がこみ上げた。「警護のために来てもらったのに、眠り込んでいるとはね」
「うん、なんだ?」彼が言い、目をこすった。
「もういいです」
ともあれ、見たところ万事問題ない様子だったので、うるさく文句を言っても意味はない。だいいち、昼食にシングルモルト一本を提供したのだから、結果はわかっていたはずだ。
強面のチャールズ元海軍少将も、今回はなんだかお茶目ですな。
シッド・ハレーとチャールズについては、まだまだ語り尽くせないので、いずれ、「大穴」、「利腕」、「敵手」をフェイマス・グラウスと一緒に取り上げるつもりです。
それにしても、ドル箱のベストセラー作家を続けざまに失ってしまった早川書房は、パトリシア・コーンウェルかダン・ブラウン並みの新人でも掘り当てない限り、この痛手はなかなか埋められないでしょう。ほかの出版物にも少なからず影響するだろうし、海外ミステリーの冬の時代は、いましばらく終わりそうにもありません。
とにかく、苦しいとき辛いときに何度も元気づけてくれたフランシスに、深い感謝の念を捧げます。天国で三人で揉めちゃ駄目よ。

小自慢のフランシスの直筆サインです。額装して毎日拝んでいます。うそです。
シリーズ・リスト
2010年02月13日
ヴァレンタイン・デイの殺人

ヴァレンタイン・デイといえば、カカオ80パーセントぐらいビターな思い出しかないTHE WHISKEYです。
愛する夫のマックスはセクシーな人妻と浮気? 今日はヴァレンタイン・デイだというのに、アニーはやきもき。ところがその夜、盛大な仮面舞踏会のあとで、当の人妻が何者かに殺されてしまった。こうなったら嫉妬なんかしている場合じゃない。ミステリに関する知識を駆使して、アニーは犯人探しに乗り出すが……
カヴァーあらすじより
ミステリー専門の書店を営む主婦が主人公のコージー・ミステリーの第6作で、このブログで取り上げるのは「ブック・フェスティバルの殺人」に次いで2冊目です。
「やあ、いらっしゃい、アニー。ご近所の方に来ていただくのはうれしいねえ。じゃあ、歓迎のしるしに飲み物をさし上げるとしよう」バックがサイドボードのほうに行くと、赤いワニ革のカウボーイ・ブーツが西の窓から差し込む日の光のなかで光った。ダイヤモンドのように光るウォーターフォードのクリスタル・タンブラーを取り上げ、並んでいるデカンターに伸ばした手には、ルビーの指輪が光っている。「何を飲むかね?」
ビリーは持って生まれたホステスの機転で、アニーに代わって答えた。「ねえ、バック、アニーはたぶんお茶かスプリッツァーのほうがいいんじゃないかしら」
「お茶をいただきますわ」アニーはボタンを押したビリーに感謝するように笑顔を向けた。
バージャーは大きな手でグラスと揃いのカットグラスのデカンターをつかみ、タンブラーになみなみと注いだ。「ああいいとも。ご婦人がたはお好みの毒を選んでください。わたしはテキサスの茶といこう」バックは大きな胸に豪快な笑い声をひびかせた。そしてグラスをアニーに見えるようにさし出して、「バーボン」とつけ足した。
テキサスの茶、Texas-Tea は、テキーラを加えたロングアイランド・アイス・ティーのことです。テキサス州がメキシコと国境を接しているのと、いろんなスピリッツを混ぜたら紅茶の風味になっちゃった、みたいな強烈なカクテルも、大酒飲みのテキサンにかかればへっちゃら、そんな意味もこめられているのでしょう。
そうそう、最近、テキサスでもウイスキーが造られていたのをご存じですか。
独立戦争が終わってまもなく、テキサスの牧場へ帰郷したマッケンドリックなる人物が、祖地のアイルランドから代々伝わるレシピをもとに、プライヴェート・ストックのウイスキーをケンタッキーの業者に造らせました。そのなかの一樽に、テキサスではありふれた実は食用にもなるマメ科の低木、メスキートのチップが紛れこみ、偶然にもウイスキーに新たな風味を与えたそうです。
時代は下って1990年代、残されたストックをテイスティングしたジム・ラッツィーノが、「これまでに誰も飲んだことのない味わいだ」と驚き、マッケンドリックのウイスキーを再現しようと思い立ち、マッケンドリック社をアビリーンに設立しました。そして、2000年にロングホーン・クリークを発売します。

ボトルラベルは、テキサスの州旗であるローンスターが描かれた、バッファロー・ビル・コディのワイルド・ウエスト・ショーのポスターをモチーフにしています。
また、ロングホーン・クリークと同時に、レザー製のボトルラベルが珍しいウエスタン・スタイルもラインナップに加えています。こちらは早くに終売になりました。
どちらもメスキート・メロウという独自の製法で造られており、キャラウェイかアニスのようなフレーヴァーのユニークなウイスキーです。おそらく、ケンタッキーから仕入れた原酒に、風味づけになにかしら添加しただけでしょう。もちろん、バーボンとしては認められていません。
ただ、マッケンドリック社はどうやらすでに倒産したみたいです。
ところで、いよいよバンクーバー・オリンピックが始まりましたね。ぼんやりと開会式の中継を観ていたのだけれど、シルク・ドゥ・ソレイユの地元だけに期待していたら、なんだかいまひとつ退屈な演出でした。でも、サラ・マクラクランとロリーナ・マケニットのステージは予想外で嬉しかったです。二人が式典で歌っていたナンバーをサイドバーに追加しておきましょう。
というわけで、開催中にバンクーバーを舞台にしたミステリーを紹介できればと思います。
シリーズ・リスト
2010年02月05日
スリーパーズ

67年夏、スラム街育ちの4人の悪童が少年院に送られた。スリーパーズ。彼らはそう呼ばれる。サディスティックな看守に夜毎レイプされ、殴られ、恥辱の限りの拷問と虐待を受ける。4人は友情の絆だけを頼りに地獄の1年を生き延びるが、その精神には深い傷跡が残された。やがて2人は殺し屋に、1人は検事に、1人は新聞記者になる。ある日、かつての看守と遭遇した彼らは、少年院の悪夢を今こそ乗り越えようとするが
カヴァーあらすじより

ブラッド・ピット、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、ケヴィン・ベーコンら錚々たるキャストによる映画をご覧になったかたは多いでしょう。評価は分かれるものの、深く印象に残る一本です。とりわけ、ケヴィン・ベーコンのヒールぶりには凄みを感じましたね。「告発」で新境地を切り開いたケヴィンは、「激流」でステップアップし、本作で名バイプレイヤーの地位を揺るぎないものにしたと思います。ミニ・ドライヴァーもこのころは可愛いかったです。
そのレストランのメイン・ダイニング・テーブルに隣接する奥の個室には、ほぼ部屋の端から端まである長いテーブルが置かれ、そのまわりに椅子が並べられていた。テーブルの上には、ビールのピッチャー、デュワーズやジョニ赤の壜が置かれ、ガラスの火屋の中ではろうそくの炎がちらちら揺れていた。テーブルの端には、花を飾った半月型の把手のついた枝編みの籠がふたつ置かれていた。
ラスト近く、スリーパーズの仲間が再会する場面です。映画では、ブッシュミルズのボトルも映っていました。
レストランに一番乗りしたのは私だった。テーブル中央の壁側の席に坐ると、ワイシャツに黒い蝶ネクタイという格好の若いウェイターが、飲みものの注文を取りにやってきた。私はテーブルにずらりと並んだビールとウィスキーを見てにやっと笑った。
「これはアイルランド人向けだな。おれはイタリア人なんだよ」
「ほかに何が要ります?」
「ワイン」
「赤ですか、それとも白?」
「両方」
ウェイターは部屋から出ようと振り向いて、ちょうど現れたジョンとトミーと鉢合わせした。私は立ち上がった。私たちはしばらく見つめ合った。やがてふたりはテーブルに近づき、黙ったまま私をきつく抱きしめた。
ネット上のレヴューでは、長尺すぎるとの批評もちらほら見かけますが、バリー・レヴィンソンは原作に忠実であろうとしただけでしょう。それほど中身の濃い作品です。罪と罰、法治に対して聖職者はどのように振舞うべきなのか。まだご存じないのなら、小説と映画、どちらでも構いません。お勧めします。
2010年01月29日
真 相
1月18日、ロバート・B・パーカーが他界しました。享年77歳、執筆中の急逝だったそうです。
老いてますます執筆のペースが上がっていただけに、まったく予期しておらず、突然の訃報にかなりショックを受けています。「これまで散々に嫌味を言ってきたけれど、本心ではスペンサーもホークもスーザンもパールも愛していたんですっ」と、頬を朱に染めつつカミングアウトします。
未読の作品は、昨年末に刊行されたばかりの「プロフェッショナル」と、未訳の Painted Ladies の2作のみ。時間をかけて楽しむことにしましょう。
というわけで、今回は追悼の気持ちをこめて、シリーズ第30作の「真相」を取り上げます。

母を殺した犯人たちを見つけてもらいたいの-迷宮入りになった28年前の銀行強盗事件で犯行グループに射殺された被害者の娘が、真剣な面持ちでスペンサーに訴えかけた。警察の捜査報告書によれば反体制の革命グループが犯行声明を出していたが、その正体は不明のままだった。やがて政府の秘密機関員だと名乗る男が、スペンサーのもとに忠告に現われた。事件の調査から手を退いたほうが身のためだというのだ。それは、彼がさらなる情報を求めてFBIの支局を訪れた直後のことだった。その後、ガンマンが銃をちらつかせながら、事件に関わらないようにとスペンサーに脅しをかけてくる。28年前の強盗事件の裏に、どんな秘密が隠されているというのか? 関係者の多くが口を閉ざすなか、スペンサーが突き止めた苦い真相とは……
ふ~ん、あらそう、と、相変わらずカタルシスの欠片も感じられない一作です。しかし、ホークとの軽口の応酬、スーザンへの偏愛など、様式美にまで昇華された予定調和の語り口は、決してファンの期待を裏切りません。
始まりの舞台はお馴染みのタフト大学ですし、リタ・フィオーレ、ロスアンジェルス市警のサミュエルソン警部ら懐かしい顔触れがカメオで顔を覘かせ、駄犬も生き返り、さらになんと、別シリーズのジェッシイ・ストーンまでクロスオーヴァーさせるという、サービス満点、お腹も満腹の展開です。どうせなら、ついでにサニー・ランドルも登場させたらよかったのに。
やっぱり、ぜんぜん誉めてないやん。
「ダリルの母親を誰が殺したか、おれが調べ出すことが、お前にとってどれくらいの意味があるのだ?」
私たちは、ブロード通りから外れた路地の奥にある<ホリイズ>という酒場でアイリッシュ・ウイスキイを飲んでいた。そこはかつて私が若かった頃、ボクシングの試合の合間に二ヶ月ほど用心棒をやっていた店だ。店の様子は変わっていなくて、働いていた頃の知り合いが今は一人もいないにもかかわらず、私はいまだにその店に行くのが好きだった。
スペンサーがポール・ジャコミンとウイスキーを酌み交わしている場面です。
ポールはアイリッシュ・ウイスキイを軽く一口飲んだ。グラスをちょっと持ち上げてカウンターの奥の光に当て、氷とウイスキイを眺めていた。
「いい酒だ」彼が言った。
「男同士の気持ちを結び付けるのに最高の酒だ」
「ぼくたちは今そうしているのかな?」
「その通り」
彼が肯いた。そのバアは細長く、天井はブリキ張りで、歳月で黒ずんだ木で小さな枠が仕切ってある。カウンターの奥の鏡の前に並べてあるボトルが、薄暗い部屋の中でかげろうのように光っている。
「拡がる環」では、無理してマーフィーズを口にしていたポールも、アイリッシュ・ウイスキーの味が分かるようになって、めでたく一人前の大人ですな。
二人が飲んでいるアイリッシュ・ウイスキーについてですが、おそらく、ブッシュミルズのオリジナルかジェイムソンだと思います。なんとなくだけれど、アメリカの庶民的なバーに置いてある銘柄はそれぐらいでしょうから。
ともあれ、罵る相手がいなくなるのは寂しいですよね。人生をちょっとだけ豊かにしてくれた作家に感謝しながらも、これからも遠慮なく貶し続けるつもりです。
シリーズ・リスト
老いてますます執筆のペースが上がっていただけに、まったく予期しておらず、突然の訃報にかなりショックを受けています。「これまで散々に嫌味を言ってきたけれど、本心ではスペンサーもホークもスーザンもパールも愛していたんですっ」と、頬を朱に染めつつカミングアウトします。
未読の作品は、昨年末に刊行されたばかりの「プロフェッショナル」と、未訳の Painted Ladies の2作のみ。時間をかけて楽しむことにしましょう。
というわけで、今回は追悼の気持ちをこめて、シリーズ第30作の「真相」を取り上げます。

母を殺した犯人たちを見つけてもらいたいの-迷宮入りになった28年前の銀行強盗事件で犯行グループに射殺された被害者の娘が、真剣な面持ちでスペンサーに訴えかけた。警察の捜査報告書によれば反体制の革命グループが犯行声明を出していたが、その正体は不明のままだった。やがて政府の秘密機関員だと名乗る男が、スペンサーのもとに忠告に現われた。事件の調査から手を退いたほうが身のためだというのだ。それは、彼がさらなる情報を求めてFBIの支局を訪れた直後のことだった。その後、ガンマンが銃をちらつかせながら、事件に関わらないようにとスペンサーに脅しをかけてくる。28年前の強盗事件の裏に、どんな秘密が隠されているというのか? 関係者の多くが口を閉ざすなか、スペンサーが突き止めた苦い真相とは……
カヴァーあらすじより
ふ~ん、あらそう、と、相変わらずカタルシスの欠片も感じられない一作です。しかし、ホークとの軽口の応酬、スーザンへの偏愛など、様式美にまで昇華された予定調和の語り口は、決してファンの期待を裏切りません。
始まりの舞台はお馴染みのタフト大学ですし、リタ・フィオーレ、ロスアンジェルス市警のサミュエルソン警部ら懐かしい顔触れがカメオで顔を覘かせ、駄犬も生き返り、さらになんと、別シリーズのジェッシイ・ストーンまでクロスオーヴァーさせるという、サービス満点、お腹も満腹の展開です。どうせなら、ついでにサニー・ランドルも登場させたらよかったのに。
やっぱり、ぜんぜん誉めてないやん。
「ダリルの母親を誰が殺したか、おれが調べ出すことが、お前にとってどれくらいの意味があるのだ?」
私たちは、ブロード通りから外れた路地の奥にある<ホリイズ>という酒場でアイリッシュ・ウイスキイを飲んでいた。そこはかつて私が若かった頃、ボクシングの試合の合間に二ヶ月ほど用心棒をやっていた店だ。店の様子は変わっていなくて、働いていた頃の知り合いが今は一人もいないにもかかわらず、私はいまだにその店に行くのが好きだった。
スペンサーがポール・ジャコミンとウイスキーを酌み交わしている場面です。
ポールはアイリッシュ・ウイスキイを軽く一口飲んだ。グラスをちょっと持ち上げてカウンターの奥の光に当て、氷とウイスキイを眺めていた。
「いい酒だ」彼が言った。
「男同士の気持ちを結び付けるのに最高の酒だ」
「ぼくたちは今そうしているのかな?」
「その通り」
彼が肯いた。そのバアは細長く、天井はブリキ張りで、歳月で黒ずんだ木で小さな枠が仕切ってある。カウンターの奥の鏡の前に並べてあるボトルが、薄暗い部屋の中でかげろうのように光っている。
「拡がる環」では、無理してマーフィーズを口にしていたポールも、アイリッシュ・ウイスキーの味が分かるようになって、めでたく一人前の大人ですな。
二人が飲んでいるアイリッシュ・ウイスキーについてですが、おそらく、ブッシュミルズのオリジナルかジェイムソンだと思います。なんとなくだけれど、アメリカの庶民的なバーに置いてある銘柄はそれぐらいでしょうから。
ともあれ、罵る相手がいなくなるのは寂しいですよね。人生をちょっとだけ豊かにしてくれた作家に感謝しながらも、これからも遠慮なく貶し続けるつもりです。
シリーズ・リスト
2010年01月19日
雪 殺人事件

日系アメリカ人のレイ・シムラは東京で働く英語教師。正月休みの旅先で、同宿のサラリーマンの妻が殺された。誤認逮捕された弁護士と共に犯人を追うレイに魔の手が迫り、第二の殺人が。
カヴァーあらすじより
日本人とアメリカ人のハーフで日本で暮らすレイ・シムラが、次つぎと殺人事件に出くわすシリーズの第1作です。
1989年の三菱地所のロックフェラー・センター・ビル、ソニーのコロンビア映画、1990年の松下電器のMCAの買収と、日本がバブルに奢っていた当時、海外からの風当たりは強く、小説の世界でも、1993年のマイクル・クライトンの「ライジング・サン」と翌年のトム・クランシーの「日米開戦」あたりで、イエローペリル的な対日観がピークに達しました。
それから10年が過ぎ、ようやくネガティヴなフィルターを通していない、日本人の登場する、あるいは日本を舞台にしたミステリーをぽつぽつと見かけるようになりました。以前、取り上げたバリー・アイスラーのジョン・レイン・シリーズがそうですし、このレイ・シムラのシリーズもそうです。ほかにも、スザンナ・ジョーンズの「アースクエイク・バード」という、いっぷう変わったタッチの作品もあり、いずれも本国で高い評価を得ています。
こと国家の好感度に関しては、「失われた10年」も負の側面ばかりではなかったのかなと思います。

とはいえ、読んでいてどこか居心地の悪さを感じ、ストーリーに集中できないので、いまもって苦手なジャンルではあります。
数分後にダイニングに戻ると、二人はテーブルに向かい合って座っていた。スコッチのボトルがテーブルにのせてある。
「キャデンヘッズだ。シングル・モルトはこれにかぎるよ。一度飲んでごらん」ヒューが私にグラスを差し出した。
主人公が恋人のスコットランド人にケイデンヘッドを勧められる場面です。
興味深いことに、作家の滞在経験によるものなのか、日本を舞台にした海外ミステリーには決まっていいウイスキーが出てきます。喜ぶべきなのかもしれないけれど、ただし、国産のウイスキーについては、知る限りいまひとつの扱いですね。
日本のイメージが好転したように、いつかは、ニッカとサントリーを大いに誉めた一節を目にするかもしれません。気長に待つとしましょうか。
ウィリアム・ケイデンヘッド社は、ワイン商のジョージ・ダンカンが1842年にアバディーン市内のネザーカークゲイトで創業しました。
ダンカンが1858年に他界すると、1853年から経営に加わっていた、義弟のウィリアム・ケイデンヘッドが事業を受け継ぎます。彼は半世紀にわたって、おもにモルト・ウイスキーとラムの販売を手がけました。
船乗りの多いアバディーンでは、ウイスキーよりも、やはりラムが好まれたようで、同社がラムに強いのはそれゆえの伝統でしょう。
ウィリアムが1904年に亡くなったあとも、ウィリアムの甥のロバート・デュティが、オリジナル・ブランドのウイスキーを発売したり、劇場の緞帳やコンサート・プログラムに広告を出すなどして売り上げを伸ばしました。
しかし、1929年に世界を襲った大恐慌は、ケイデンヘッド社も苦境に追いこみます。1931年にロバートは路面電車に轢かれて落命しましたが、金策のためか、銀行の頭取に面会する道中だったそうです。
商才に長けた主人を失ったケイデンヘッド社は、娘のアン・オリバーの努力によって40年のあいだ維持されたものの、1972年に清算され、キャンベルタウンのJ&A・ミッチェル社が買い取りました。
スコットランドでもっとも伝統を誇るマーチャント・ボトラーだけに、そのストックはほかを圧倒しており、シグナトリー、キングズバリー、サマローリといった新興の同業者、そして、SMWSにも樽を供給しています。
ところで、ウスケバのブロガーさんが好きな音楽をアップされているので、ぼくも真似ることにしました。色気のないブログなので女性ボーカリストをメインに、記事に合わせて更新していくつもりです。右サイドバーのトップにリンクしています。
お暇なら聴いてよね。
シリーズリスト
2010年01月12日
ピアノ・ソナタ

晩秋。ボビーから悲報が舞い込んだ。ブロンクスの老人ホームで深夜勤務についていた警備員の甥が殴り殺されたのだという。地元の不良グループの仕業とみなす警察の判断に納得のいかないボビーは、犯人を突き止めるよう依頼してくる。かつて探偵の手ほどきをしてくれた老兵の頼みに、わたしは基礎調査をリディアに託し、警備の交替要員として単身ホームの懐深く潜り込むことにしたが……?
中扉ストーリー紹介より
ニューヨークを舞台に、アイリッシュの大男、ビル・スミスと中国娘のリディア・チンのコンビが、ときに反発しあいながらも協力して事件にあたるシリーズの第2作です。
第1作の「チャイナタウン」はリディア、本書はビルと、1作ごとに交互に主人公が入れ替わる手法がユニークで、性別も世代も人種も異なる二人だけに、雰囲気もがらりと変わり、べつの作家の共著のような印象を受けます。
ダウンタウンまで渋滞が続いていたので、帰り着いたのは六時半近かった。思ったほど時間の余裕はなかったが、そのうちのいくらかを費やして、ともかくシャワーを浴びた。降り注ぐ湯の下に立ち、痛み、汗、虚ろな目の老人、空疎な未来が待つ若者、見聞きしたこと、さらにはブロンクスを洗い流した。
体を乾かし、こざっぱりしたジーンズにTシャツ、スニーカーを身に着けた。時間を気にしないですむようにタイマーをセットした後、メーカーズ・マークを一インチ注いで、ピアノの前に座った。バーボンを飲みながら、雑念を払おうと努めた。
まずは、ウォーミングアップに練習曲をこなした。準備ができると、わたしは呼吸を整えた。それから、一日じゅう頭の中で鳴り響いていたシューベルトの変ロ長調を弾き始めた。この曲を全曲通して弾くようになってから、ほんの一週間かそこらと、まだ間がない。今夜はひたすらそれを弾き、音を結びつけ、まとめ上げたかった。自分にできること、新たに可能になったこと、できると思っていたが不可能なことを実際耳にして、わたしは初めてその曲を理解し始める。
初めて「チャイナタウン」を読んだときは、無鉄砲で他人の忠告を聞き入れようとしない頑固なリディアにいらいらさせられました。しかし、心中に熾火を燻らせつつも物静かなビルのキャラクターと、リディアに密かに恋心を寄せる彼の心情に同性として共感でき、いまでは新刊が待ち遠しいシリーズになりました。この女流作家、男心をよく分かっています。
煙草を吸い終わり、一インチ注いだバーボンもなくなった。階下に行く時刻となり、リディアの黒い瞳や、フリージアの香りのする髪、筋肉質の締まった体の温もりを思うと、いくらか心が軽くなった。リディアはさまざまな事柄をわたしとは異なった角度から眺める。協力し合えば、意味のあることと、ないこととを区別し、次に打つ手を決められるかもしれない。リディアと話すのは役に立つだろう。いつもそうだ。
下の道路に車が停まった。アイドリングの音が聞こえてくる。街頭の明かりで、フロントガラスを通して内部がはっきり見えた。わたしの知らない若い東洋人の男が運転席にいた。隣にいるのはリディアだった。
男が両手をハンドルに置いたままで、ふたりはなにやら話し込んでいる。リディアが頭を反らし、髪をかき上げる見慣れた仕草をした。それから男のほうに体を傾けた。男が腕を回して抱いた。
ふたりのキスは長かった。リディアが車から降りてドアを閉め、窓から覗き込んで話しかけた。後ろに下がると、遠ざかっていく車を見送った。
リディアが向きを変えて道路を渡り始めたので、ショーティーズに入る前にこちらを見上げる場合に備え、急いで窓から離れた。彼女はたいてい、そうする。
なんとも切ない場面ですね。ぼくと同じ感想を抱いた読者は多いらしく、アメリカのミステリー賞を受賞した3作は、いずれもビルの視点で描いた作品です。
ちなみに、ビルが練習している、シューベルトのピアノ・ソナタ変ロ長調はこんな曲です。
「飲み物をどうだい。ちょっと早いが、まあいいじゃないか」彼は、再びにやっとした。「バーボンだったね?」キャビネットを開けて、ジム・ビームを取り出した。言わせてもらえれば、バーボン飲みでない人間が置くのにまさにふさわしい銘柄である。彼はバーの冷蔵庫から氷を取り出して大きなグラスに入れ、ひとつにはバーボン、もうひとつにはスコッチを、どちらも予想外にたっぷり注いだ。わたしにグラスを寄越すと、革張りの椅子に落ち着いた。
男心だけではなくて、バーボンについてもよく分かっていらっしゃいますな。でも、ビルが好きなメーカーズ・マークは、皮肉にも、「バーボン飲みでない人間が置くのにまさにふさわしい」バーボンのジム・ビームに買収されてしまったのだけれど。
1844年、テイラー・ウィリアム・サミュエルズが、ケンタッキー州ネルソン郡のディーツヴィルの農場でウイスキー造りを始めました。テイラーのウイスキーは評判を呼び、成功した彼はのちに州長官にも任命されています。
テイラーは1898年に77歳で亡くなり、息子のウィリアム・I・サミュエルズがほかの財産とともに蒸留所を受け継ぎました。蒸留所は1909年に火災で焼失したものの、1913年に再建されています。
禁酒法による休業を経て、ウィリアムの息子のレズリーが、1934年にワシントン郡のスプリングフィールドに蒸留所を移転して、1938年に4年物のボンデッド・ウイスキー、T・W・サミュエルズを発売します。そのウイスキーは、おもにテキサスやカリフォルニアなどの西部でよく売れました。
しかし、レズリーの息子のビル・サミュエルズ・シニアは、蒸留所をニューヨークのフォスター・トレーディング社に売却してしまい、蒸留所は1949年にまたもや火災に遭って、わずか15年で操業を終えています。
いったんはウイスキーの業界から離れたビルでしたが、やはり家業を継ぐことを決意すると、1953年、43歳のときに、1980年に合衆国の歴史的建造物にも指定された、ロレット郡のバークス・スプリング蒸留所を5万ドルで買いとります。
バークス・スプリング蒸留所の歴史は、1805年にチャールズ・バークスが建てた蒸留所に遡ります。チャールズが1831年に他界したあとも一族によって経営は続けられ、1878年にジョージ・R・バークスが蒸留所を改修したさい、バークス・スプリングと名づけました。
蒸留所では、バークス・スプリング、オールド・ハッピー・ホロウといったブランドを生産していました。1906年からルイヴィルのジョン・C・ウェラー商会が蒸留所のウイスキーを独占して仕入れ、自社のフェイマス、JCW・ブランドとして販売しています。
バークス家は、禁酒法の初めごろにアーネスト・ビケットに蒸留所を売却し、ブラウン・カイザー、1943年にグレンモア社、第二次世界大戦後にD・K・カープと何人ものオーナーを経て、さきのビル・サミュエルズ・シニアの手に渡りました。
ビルは最初のディスティラーにエルモ・ビームを雇い、6年後の1959年、アメリカでは珍しい貯蔵樽のローテーションやワックスによる封印を導入した、伝統的な製法と斬新なアイデアを組み合わせたバーボン、メーカーズ・マークを生み出します。
ブランドネームは、ビルの夫人のマージが収集していた英国製のマグカップの刻印をヒントにしています。シンボルマークは、五鉾星は蒸留所があるスター・ヒル・ファームスを、Sとギリシャ数字のⅣはサミュエルズ家の4代目にあたるビルを表しており、アウトラインの円周は家族のつながりを、そのところどころが途切れているのは、いったんは蒸留所を手放してしまった、ビルの自戒の気持がこめられているそうです。
余談ながら、ビルがサミュエルズ家の4代目だというのはじつは彼の勘違いで、本当は5代目だったそうです。
メーカーズ・マーク・ディスティラリー社は、2005年以降、フォーチュン・ブランズ社の傘下にあり、いっぽう、T・W・サミュエルズのライセンスは、ヘヴン・ヒル社が所有しています。

メーカーズ・マークは多くの記念ボトルを発売していて、うえの写真の4本はとくに有名なラインアップです。

シリーズ・リスト
2010年01月05日
血に問えば
今年、記念すべき創業200周年を迎えるスコットランドの蒸留所があります。
ウスケバのブロガーの皆さんならすでにお分かりかと思います。アイル・オブ・ジュラです。
ジュラ島は、地勢的にはアイラ水道を隔ててアイラ島のすぐ東隣に位置しています。しかし、デリケートでバランスのとれたアイル・オブ・ジュラの味わいは、アイランズ・モルトというよりも、むしろハイランド・モルトに印象が近く、スタイリッシュなボトルフォルムと相まって、女性に人気の高いウイスキーです。
ウォレス・ミルロイ氏は、「良く熟成している。ボディは充実しているが、風味は繊細」と称え、ヘレン・アーサー女氏は、「ホワイト&マッカイの大臣的なモルト」と評しています。
ジュラの島名はノース語で「鹿」を意味する Dyrer から転じたそうで、6千頭を超えるアカジカが生息している、まさしく「鹿の島」です。
スコットランド西部の島嶼群では珍しく、わずか2百人足らずの島民の大半はイングランド系で、もしかしたら、人びとの気質の違いが、スコットランドでも最大級のポットスティルと、スタンダードの10年についてはノンピートのモルトとともに、ウイスキーのキャラクターに影響を与えているのかもしれません。
ジュラ島の東岸のクレイグハウスにある蒸留所は、1810年の創業を謳ってはいるものの、1875年に蒸留所を入手したファーガソン家が、地代を巡って地主と不仲となり、事業を止めてしまったため、1963年に再建されるまで、長らく島内でウイスキーは造られていませんでした。
また、ジョージ・オーウェルが晩年の1946年から1949年まで過ごし、結核に苦しみながら、あの風刺小説の名作の「1984」を執筆した場所としてもよく知られています。
昨年、記録的なベストセラーとなった、村上春樹氏の「1Q84」の人気につられ再び注目を集めていますよね。ただ、物語に出てくる酒はジンばかりだけれど。
マル島やスカイ島に比べて目立たないジュラ島は、日本語の文献もほとんど見当たりません。さきのオーウェルのエッセイと書簡集の「一杯のおいしい紅茶」ぐらいでしょうか。ミステリーの世界でも、ジュラ島が描かれた作品はぼくが知る限り、イアン・ランキンのリーバス警部シリーズの「血に問えば」のみです。

SASの元兵士による銃乱射事件を捜査していたエディンバラ警察のリーバス警部は、以前、ジュラ島で起こったヘリコプターの墜落事故に秘密が隠されていると推理し、島へ渡ります。
モルト・ウイスキー好きの主人公の真打ともいえるリーバスだけに、せっかくだから作中でアイル・オブ・ジュラを飲んでほしかったのですが、半日立ち寄ったに過ぎず、ありつける機会に恵まれなかったようです。もし、しばらく滞在していれば、彼のことだから間違いなく口にしていたでしょう。
シリーズ・リスト
「紐と十字架」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2005
「陰と影」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2006
「血の流れるままに」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1999
「黒と青」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1998
「首吊りの庭」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1999
「死せる魂」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2000
「蹲る骨」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2001
「 滝 」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2002
「甦る男」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2003
「貧者の晩餐会」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2004 短編集
「血に問えば」 早川書房 2004
「獣と肉」 早川書房 2005
ウイスキーとミステリーHP版(工事中)
ウスケバのブロガーの皆さんならすでにお分かりかと思います。アイル・オブ・ジュラです。
ジュラ島は、地勢的にはアイラ水道を隔ててアイラ島のすぐ東隣に位置しています。しかし、デリケートでバランスのとれたアイル・オブ・ジュラの味わいは、アイランズ・モルトというよりも、むしろハイランド・モルトに印象が近く、スタイリッシュなボトルフォルムと相まって、女性に人気の高いウイスキーです。
ウォレス・ミルロイ氏は、「良く熟成している。ボディは充実しているが、風味は繊細」と称え、ヘレン・アーサー女氏は、「ホワイト&マッカイの大臣的なモルト」と評しています。
ジュラの島名はノース語で「鹿」を意味する Dyrer から転じたそうで、6千頭を超えるアカジカが生息している、まさしく「鹿の島」です。
スコットランド西部の島嶼群では珍しく、わずか2百人足らずの島民の大半はイングランド系で、もしかしたら、人びとの気質の違いが、スコットランドでも最大級のポットスティルと、スタンダードの10年についてはノンピートのモルトとともに、ウイスキーのキャラクターに影響を与えているのかもしれません。
ジュラ島の東岸のクレイグハウスにある蒸留所は、1810年の創業を謳ってはいるものの、1875年に蒸留所を入手したファーガソン家が、地代を巡って地主と不仲となり、事業を止めてしまったため、1963年に再建されるまで、長らく島内でウイスキーは造られていませんでした。
また、ジョージ・オーウェルが晩年の1946年から1949年まで過ごし、結核に苦しみながら、あの風刺小説の名作の「1984」を執筆した場所としてもよく知られています。
昨年、記録的なベストセラーとなった、村上春樹氏の「1Q84」の人気につられ再び注目を集めていますよね。ただ、物語に出てくる酒はジンばかりだけれど。
マル島やスカイ島に比べて目立たないジュラ島は、日本語の文献もほとんど見当たりません。さきのオーウェルのエッセイと書簡集の「一杯のおいしい紅茶」ぐらいでしょうか。ミステリーの世界でも、ジュラ島が描かれた作品はぼくが知る限り、イアン・ランキンのリーバス警部シリーズの「血に問えば」のみです。

SASの元兵士による銃乱射事件を捜査していたエディンバラ警察のリーバス警部は、以前、ジュラ島で起こったヘリコプターの墜落事故に秘密が隠されていると推理し、島へ渡ります。
モルト・ウイスキー好きの主人公の真打ともいえるリーバスだけに、せっかくだから作中でアイル・オブ・ジュラを飲んでほしかったのですが、半日立ち寄ったに過ぎず、ありつける機会に恵まれなかったようです。もし、しばらく滞在していれば、彼のことだから間違いなく口にしていたでしょう。
シリーズ・リスト
「紐と十字架」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2005
「陰と影」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2006
「血の流れるままに」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1999
「黒と青」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1998
「首吊りの庭」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1999
「死せる魂」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2000
「蹲る骨」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2001
「 滝 」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2002
「甦る男」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2003
「貧者の晩餐会」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2004 短編集
「血に問えば」 早川書房 2004
「獣と肉」 早川書房 2005
ウイスキーとミステリーHP版(工事中)
2009年12月31日
越年のご挨拶
今年はここ数年になく穏やかに過ごせました。また、人との結びつきにも恵まれ、淡々としつつも充実した一年だったと思います。こんなぼくを生温かく見守って下さった皆さまがた、有難うございました。
まあ、自宅はこんな状態で年越しですが。来年はもっとまめに記事を更新します。

それではよいお年をお迎え下さいませ。
まあ、自宅はこんな状態で年越しですが。来年はもっとまめに記事を更新します。

それではよいお年をお迎え下さいませ。
2009年12月24日
クリスマス・プレゼント

クリスマス・イブの今宵、皆様がたはどのようにお過ごしでしょうか。こんばんは。この時期、世間に背中を向けているTHE WHISKEYです。
夕食の献立はイカと大根炊いたんと湯豆腐、普段と変わらぬ和風です。デザートは自分でついたライスケーキです。字面がちょっとだけクリスマスしています。
…寂しいです。
さて、気を取り直して久しぶりにミステリーの記事をアップしましょう。全身麻痺の捜査官、ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライム・シリーズの短編です。
クリスマス・イブの昼下がり、知人の刑事が、プライベートな捜査に協力してくれまいかとライムに頼みにやってきます。
セリットーは勧められるのを待たず、手作りのクリスマス・クッキーをまた一つ取った。それはサンタクロースの形をしていたが、アイシングで描かれた顔はグロテスクだった。「なかなか美味いぞ。一つ食うか?」
「いや、けっこう」ライムはうなるように答えた。それから、視線を書棚にさまよわせた。「しかし、ちょっとしたクリスマスのご馳走があると、きみのセールストークにもいくらか楽しくつきあえるかもしれないな」
「ご馳走……? ああ。よし、待ってろ」セリットーは研究室の奥へ行ってマカランのボトルを下ろすと、タンブラーを取って気前よく注いだ。ストローを差し、ライムの車椅子のホルダーにタンブラーを置く。
ライムは酒をすすった。おお、極楽だ……介護士のトムと、ライムのパートナーのアメリア・サックスは、買い物に出ている。もし二人がこの場にいたら、ライムのタンブラーに注がれているのはおそらく美味い飲み物ではあるだろうが、現在時刻を考慮すると、アルコールが入っていないものであろうことはまちがいない。
クリスマス・シーズンはいつも暇なライムは、マッカランをくすねさせ、退屈しのぎに手伝うことにします。
邦訳されたばかりの「ソウル・コレクター」の評価はしばらく置くとして、これまでの長編はいずれも高い支持を得ているシリーズですが、この作品はいまひとつの出来です。事件の背景がクリスマスである必然性がないし、展開もなんとなく読めてしまいました。
こんなにコメントが辛口なのは、もしかして独りぼっちのクリスマス・イブで心がささくれ立っているからかも。
「よきサマリア人」に戻るために「ママがサンタにキスをした」でも歌いましょうか。
それはクリスマスの静かな夜のこと
おくりものを楽しみにして
サンタクロースの夢を見た♪
…もう歌えません。
メリー・クリスマス。
2009年12月16日
シネマッカラン
「ウイスキーとミステリー」が一段落したら(実際にはゴールがまったく見えない状態ですが。というか記事を書け、記事を)、「シネマッカラン」とかなんとかタイトルをつけて、ウイスキーの登場する映画について取り上げようと思っています。もちろん、武部好伸さんのパクリです(ただ、続、「シネマティーニ」があるとかないとかとも聞きおよんでいます。それが事実なら遠慮しとこうかな)。
で、最近入手したレーザーディスクがこの3枚。どれもずっと探していた作品なので嬉しいですね。
「ストーミー・マンディ」はニューカッスルが舞台のクライム・ストーリーで、モルトウイスキーがぞろぞろ出てきます。「スナッパー」はブッカー賞作家、ロディ・ドイルの三部作が原作のハートフル・コメディ、「ザ・フィールド」はリチャード・ハリス、ジョン・ハート、ショーン・ビーンと名優揃いの問題作。
わーい。
…でも、みんな海外盤で字幕なし。orz
あ、HPのほうは真面目にアップしています。
ウイスキーとミステリー テスト版
2009年11月30日
ディック・フランシス
只今、ホームページのカヴァー写真用にスキャナーで取り込んでいる、ディック・フランシスの「競馬」シリーズです。
42作あります。
これが終わったら、ロバート・B・パーカーの「スペンサー」シリーズが待っています。36作あります。
その次は、ビル・プロンジーニの「名無しの探偵」シリーズ19作、レジナルド・ヒルの「ダルジール警部」シリーズ21作が待っています。
皆さん、ごめんなさい。THE WHISKEYはもう疲れました…。
2009年10月30日
スプリット・イメージ

近所のホームセンターで買ってきた観葉植物を子供の成長記録のように毎日カメラで撮って、人生にささやかな喜びを見出している、四十云歳、独身男です。
男は人を殺してみたくてしようがなかった。金なら腐るほどあるし、容姿は映画スターなみ。地位や名声にも恵まれている。それでも男は歪んだ欲望に衝き動かされ、一人の悪徳刑事を抱きこんである殺人計画を実行に移そうとしていた。そんな彼らに、いま一人の刑事が疑惑の目を向けたとき…
裏表紙ストーリー紹介より
1953年にデビューして以来、長らく不遇をかこっていたエルモア・レナードが、57歳にして一躍注目されるきっかけになった一冊が、この「スプリット・イメージ」です。
そして、「スティック」、「ラブラバ」、「グリッツ」、「バンディッツ」と話題作を次つぎに発表し、本国の爆発的な人気の高まりが日本にも伝播することになったのは、ミステリーの読者の皆さんならよくご存知でしょう。
本作も、作家のホームグラウンドともいえるフロリダとデトロイトを舞台にした、シンプルなストーリーながら、人を食った会話と肩の力の抜けたテンポのレナード・タッチの妙味が十分に堪能できる秀作です。
バーテンをやっているのは、初めて顔を合わせる、アートという名の若造だった。リリーの姿はない。まだ午後の四時だというのに夕食をとりにいったという。夕食だって? いったいどうなってんだ、近頃は? そういえば、店自体の雰囲気も以前とはちがう。だいぶ変わっている。唯一変わらないのは、ケスラーの値段がいまも一杯五十セントという点だ。昔はこいつ、“ポーランド人のカナディアン・クラブ”と呼ばれていたんだ、とウォルターが言うと、アートは答えた、いまだってそうすよ。
登場人物の一人が、デトロイトに戻って馴染みのバーに立ち寄った場面です。

ケスラーは、さすがにセブン・クラウンには及ばないものの、アメリカでは2番目によく飲まれているアメリカン・ブレンディッドです。
ブランドネームは、禁酒法が施行されるまで、ケンタッキー州でピーコック、パリス、のちにシーグラム社の主力プラントとなるオールド・ルイス・ハンター蒸留所を所有していた、ジュリアス・ケスラーに因んでいます。
ケスラーは、ハンガリーのブタペストの出身で、1870年代にコロラド州のリードヴィルでウイスキーの行商を始めます。もしかすると、1848年のハンガリー革命で故国を追われた亡命者の一族だったのかもしれません。
成功をおさめたケスラーは、1921年、禁酒法の影響からか事業に見切りをつけて引退します。そして、ヨーロッパに戻り、オーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊してまもないウイーンで余生を過ごしています。
ケスラー社は1935年にシーグラム社に買収され、このウイスキーも同社のブランドとなりました。15年ほどまえの「世界の洋酒辞典」には、「フォア・ローゼズをブレンドしている」と記されていましたが、ジム・マーレー氏は、「ジム・ビーム・ブランズ社の少なくとも4年ものの原酒に、72.5パーセントの割合でニュートラル・スピリッツが加えられている」と著書で詳述しています。
いっぽうが間違っているわけではなく、ジョージ・P・ペレケーノスの「友と別れた冬」のときに取り上げたマッティングリー&ムーアと同様に、1991年にシーグラム社がアメリカン・ブランズ社に売却した7つのブランドのなかに、ケスラーも含まれていたと考えるべきでしょう。
ブログの1回目の記事がレナードの「ムーンシャイン・ウォー」で、早くも一年近くが経ちました。次回、レナードの作品を紹介するなら、来年のいまごろ、「キルショット」でカナディアン・クラブか、「バンディッツ」でサゼラック社についてかな。
コーヒーとヤシの木もさぞかし立派に育っていることでしょうな。
2009年10月22日
ただでは乗れない

私の追っていた弁護士は、レストランの駐車場で撲殺されていた。八百万ドルにも及ぶ横領が発覚し有罪となったが、証券取引委員会にすべてをぶちまけると宣言し、ある場所に隔離されていた男だ。こうなると、不利益を被った法律事務所からの依頼も水の泡だ。誰が何を目的として、彼を葬ったのか。私はいつのまにか事件に深入りし、気づいたときはのっぴきならない状況に追い込まれていた。
裏表紙ストーリー紹介より
目を開けると、バーンスタインの姿はなかった。サンディと二人きりだった。カウチで私の横に座っていた。ひどく喉が渇き、彼女がもっている飲物に口をつけた。
「すまなかった。メチャメチャにしてしまった」
「いいのよ。彼、口実がほしかったんだから」
「恋人はたくさんいるのか?」
「自分の欠点と罪を他人に投影するのは、よくあることよ。彼もそれをしたの」
「すまなかった」もう一度謝った。彼女が身を寄せてキスをした。柔らかく、清楚で、しっとりとしたキスだった。けがをしていない方の腕を彼女にまわした。そのキスは、クリームとイチゴ、ウィスキーとソーダ、春と自転車、といった組み合わせと同じように、鎮痛剤と組み合わさったキスだった。
主人公のトニイ・カッセーラは、薬と縁を切れずにいるジャンキーで、嫉妬深い内縁の妻に隠れて依頼人の女と関係したり、旦那のいる別れた彼女の世話になったりと、キャラクターの造形だけを見るなら、いまどき珍しくもないオフ・ビートなタイプの私立探偵です。しかし、リーガル・サスペンスの要素も盛りこまれたなかなか巧みなストーリーで、人物もしっかりと描きこまれているし、余韻も悪くありません。
アメリカのミステリー賞をなにかしら受賞したという、凡そあてにならない金看板もたまには信じてもいいと思えた、拾いものの一冊でした。
バカ正直にブロドスキイのところへ行った場合、彼にはノーという返事以上のことはできまい。そうなっても、私にはあとから恐ろしいことをして彼の考えを変えさせることもできる。
ひょっとして「いいとも、読んでくれ!」という答えが返ってくることがあるかもしれないと思い、夕食が終わったころをみはからってブロドスキイの家へ行った。こっちからプレゼントできるものといったら、私のボーイッシュな魅力とジョニー・ウォーカーの黒しかなかった。
調査に行き詰ったカッセーラは、事件を担当していた法執行官の自宅を訪問して、ジョニ黒を土産に情報を得ようとします。
私は自己紹介をし、本物の身分証明書を見せて少しばかり時間を、と言った。
「どういうことなんだ?」
「ミスタ・ブロドスキイ、この話は少々込み入っているのです。なかへ入ってもかまいませんか? スコッチがよろしければ、この十二年物を開けて説明させてください。説明を聞いていただいたあとなら、放り出されてもかまいませんから」
「メル、どなた?」奥さんらしい女の声がした。
「スコッチをくれるという人がいるんだ」こう答え、私を入れてくれた。
どんなウイスキーを贈られたら、皆さんは守秘義務のある情報について口を滑らしますか。ぼくは、シグナトリーのグレン・フラグラーとキリーロッホにアイルブレイを足した詰め合わせか、アイリッシュならダンガニー1本だけで、なんでも話します。ついでに、サービスでプライヴェートのあれやこれやまで包み隠さずに打ち明けますとも、ええ。
でも、そんな有益な情報に接する立場にないんですよね。耳に入ってくるのは、ジョニー・ウォーカーどころかコーン・ウイスキーのワンショット分の価値にもならない世間話ばかり。
記事を書いていて、日毎に増すばかりの体重とは裏腹に、社会的なわが身の軽さに気づいてしばし落ちこむ、秋の夜長でした。
シリーズ・リスト
「ただでは乗れない」 ハヤカワ・ミステリ文庫 1987
「見返りは大きい」 ハヤカワ・ミステリ文庫 1989
「最後に笑うのは誰だ」 扶桑社ミステリー 1992
2009年10月15日
ブルー・ベル
前々回の「探偵は犬を連れて」のコメントを書いていて、犬の活躍するミステリーについて、肝心な作品を忘れているような気がしてならず、もやもやしたまま過ごしておりました。昨夜になって、はたと思い出したのが、アンドリュー・ヴァクスのバーク・シリーズです。
ニューヨークの裏社会をしたたかに生き抜いている前科27犯の私立探偵、バークの相棒が、巨大で獰猛なナポリタン・マスチフの雌犬、パンジイです。

バーク・シリーズには、「探偵は犬を連れて」とは真逆に、シリーズを通して「ウイスキー」という単語がほぼ見当たりません。でも、どうしても紹介したかったので、遅ればせながら取り上げることにしました。
パンジイのほかに、伝説の暗殺者の音なしマックス、レディを夢見る心優しき男娼のミシェル、託宣を告げる浮浪者のプロフ、天才的な技術者のモグラ、彼らを束ねる中華料理屋のママら、異形のファミリーとともに、バークは子供を食い物にしている犯罪者や組織に立ち向かいます。
ヴァクスはワンパターンだとの訳知り顔の意見も聞きますが、青少年犯罪と幼児虐待の専門家でみずからも犠牲者だったヴァクスが、小児性愛者の忌まわしさを広く訴えるために筆をとったシリーズなのだから、同じテーマを執拗に繰り返すのは当然だし、毎回、登場する謎めいた女性も、物語の救いとなる母性の象徴として欠かせないでしょう。
劇画調でいて、もっとも社会派のミステリーですね。むしろ、荒唐無稽なスタイルでなかったら、あまりにも重いテーマゆえにいまほどの支持は得られなかったかもしれません。
個人的には、第3作の「ブルー・ベル」がとりわけ印象に残っています。

少女売春婦の連続殺人犯を追うバークのまえに現れ、惜しみない愛を彼に与え、愛を求める、生まれながらに薄倖の女、ベル。綺羅、星のごとくいるミステリーのヒロインのなかでも、その存在感は際立っています。
ハードボイルド小説の世界を俯瞰したとき、決して見落とせないシリーズで、順番に読み進めるのがいちばんだけれど、一作だけを選ぶとしたら本書をお勧めします。泣かされますよ。
シリーズ・リスト
「フラッド」 徳間文庫 1988
「赤毛のストレーガ」 早川書房 1988
「ブルー・ベル」 早川書房 1990
「ハード・キャンディ」 早川書房 1991
「ブロッサム」 早川書房 1992
「サクリファイス」 早川書房 1993
「ゼロの誘い」 早川書房 1996
「鷹の羽音」 早川書房 1997
「嘘の裏側」 早川書房 1998
「セーフ・ハウス」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2000
「クリスタル」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2001
「グッド・パンジイ」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2003
ニューヨークの裏社会をしたたかに生き抜いている前科27犯の私立探偵、バークの相棒が、巨大で獰猛なナポリタン・マスチフの雌犬、パンジイです。

バーク・シリーズには、「探偵は犬を連れて」とは真逆に、シリーズを通して「ウイスキー」という単語がほぼ見当たりません。でも、どうしても紹介したかったので、遅ればせながら取り上げることにしました。
パンジイのほかに、伝説の暗殺者の音なしマックス、レディを夢見る心優しき男娼のミシェル、託宣を告げる浮浪者のプロフ、天才的な技術者のモグラ、彼らを束ねる中華料理屋のママら、異形のファミリーとともに、バークは子供を食い物にしている犯罪者や組織に立ち向かいます。
ヴァクスはワンパターンだとの訳知り顔の意見も聞きますが、青少年犯罪と幼児虐待の専門家でみずからも犠牲者だったヴァクスが、小児性愛者の忌まわしさを広く訴えるために筆をとったシリーズなのだから、同じテーマを執拗に繰り返すのは当然だし、毎回、登場する謎めいた女性も、物語の救いとなる母性の象徴として欠かせないでしょう。
劇画調でいて、もっとも社会派のミステリーですね。むしろ、荒唐無稽なスタイルでなかったら、あまりにも重いテーマゆえにいまほどの支持は得られなかったかもしれません。
個人的には、第3作の「ブルー・ベル」がとりわけ印象に残っています。

少女売春婦の連続殺人犯を追うバークのまえに現れ、惜しみない愛を彼に与え、愛を求める、生まれながらに薄倖の女、ベル。綺羅、星のごとくいるミステリーのヒロインのなかでも、その存在感は際立っています。
ハードボイルド小説の世界を俯瞰したとき、決して見落とせないシリーズで、順番に読み進めるのがいちばんだけれど、一作だけを選ぶとしたら本書をお勧めします。泣かされますよ。
シリーズ・リスト
「フラッド」 徳間文庫 1988
「赤毛のストレーガ」 早川書房 1988
「ブルー・ベル」 早川書房 1990
「ハード・キャンディ」 早川書房 1991
「ブロッサム」 早川書房 1992
「サクリファイス」 早川書房 1993
「ゼロの誘い」 早川書房 1996
「鷹の羽音」 早川書房 1997
「嘘の裏側」 早川書房 1998
「セーフ・ハウス」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2000
「クリスタル」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2001
「グッド・パンジイ」 ハヤカワ・ミステリ文庫 2003
2009年10月08日
ブルー・ドレスの女

1948年、ロサンゼルス。飛行機工場を馘になった黒人労働者イージー・ローリンズは、家のローンを返すため、どんな仕事でも引き受ける気でいた。とはいえ、自分が探偵の真似事をして人さがしをすることになろうとは、思ってもいなかった。さがす相手は、黒人のもぐり酒場に出入りする美貌の白人女ダフネ・モネ。なにやら厄介ごとの匂いがぷんぷんした。だが、仕事の選り好みをしている余裕はない。イージーは手はじめにジャズ関係者が集う非合法のナイトクラブ<ジョンの店>を訪れ、そこでダフネを知っている黒人女を見つけだした。ところが、ダフネの居場所を聞き出すまえにその女が無残な撲殺体となって発見されたことから、事件は思わぬ方向へ!
裏表紙ストーリー紹介より
1940年代のロスアンジェルスといえば、ハードボイルド小説の読者なら、誰しもフィリップ・マーロウを連想するでしょう。しかし、このイージー・ローリンズ・シリーズは、時代と場所は同じでも、マーロウが足を踏み入れていた上流階級や映画界といった卑しくても華やかな世界ではなく、レイモンド・チャンドラーが描かなかった、いや、描けなかった、白人と同じバスに乗車することも、同じ食堂で食事することも許されなかった、もうひとつのロスアンジェルス、黒人社会を、レトロ・ノワールなタッチでリアルに浮かび上がらせています。

デンゼル・ワシントンの主演で映画化もされており、デンゼルのイージーはもちろん、ダフネ役のジェニファー・ビールスが、ほかのキャスティングが考えられないほどイメージにぴったりのうえ、監督が女性の扱いにかけてはハリウッドでも指折りに長けたエイドリアン・ラインだけに、原作のファンならずとも十分に楽しめる秀作です。機会があればぜひご覧ください。ただ、興行的に成功しなかったのか、一作きりで終わってしまったのが残念です。
ジョッピーがミスタ・オールブライトにスコッチ、わたしにバーボンを、どちらもオン・ザ・ロックで運んできた。ふたつのグラスを置いて、言った。「ミスタ・オールブライトはちょっとした仕事をやってくれる男をさがしててな、イージー。おれが話したんだよ。おまえが仕事にあぶれてて、おまけにローンをかかえてることも」
物語の序盤、依頼人と会ったときにイージーが飲んでいたバーボンは、小説では銘柄が明かされていませんが、映画ではオールド・フィッツジェラルドでした。
ミスタ・オールブライトが薄茶色の大きなデスクの向こうにまわり、半分空になったワイルドターキーのボトルのわきに、ボーンホワイトの靴をのせた。後ろの壁に掛かった紙のカレンダーに、ブラックベリーの盛り籠の絵がデザインとしてあしらってあった。ほかに、壁を飾る物は一切ない。床もむきだしだった。黄色い無地のリノリウムに、いろんな色のしみがついているだけだ。
気が進まないながらもオールブライトのオフィスにイージーが立ち寄った場面です。映画では、ここでもワイルド・ターキーの代わりにオールド・フィッツジェラルドのボトルが映っていました。
1870年、ジョン・E・フィッツジェラルドが、フランクフォート近郊のベンソン・クリークに蒸留所を建てました。彼はそこで、オールド・フィッツジェラルド、オールド・ジャッジ、ベンソン・スプリングといったウイスキーを生み出します。1900年ごろに、それらのブランドをウィスコンシン州ミルウォーキーのS・C・ハーベストに売却すると、フィッツジェラルドはインディアナ州へ移住しています。
禁酒法によって休業に追いこまれた蒸留所を、W・L・ウェラー・アンド・サンズ商会が買いとり、オールド・フィッツジェラルドのストックを薬用ウイスキーとして販売しました。1933年に禁酒法が廃止されると、ジョン・フィッツジェラルド蒸留所は、サム・クレイ蒸留所に名前を改めて操業を再開します。
ヘヴン・ヒル社で働いていたビーム一族のハリー・ビームが、1946年に蒸留所のオーナーになり、兄のロイ、ロイが亡くなったあとは弟のオーティスとともに経営を続けていましたが、彼らが引退してまもなく、1960年代に閉鎖されています。
いっぽう、オールド・フィッツジェラルドは、1972年にシェンレー社にライセンスが移るまでは、スティッツェル・ウェラー社を代表するブランドで、小麦を多く使っていたので、Whisper of Wheat 小麦の囁き、のキャッチフレーズで親しまれました。現在はバーンハイム社が生産しています。
ジェイムズ・E・カーター大統領が愛飲していたことでも知られ、マイケル・ジャクソン氏は、「エレガントで紳士的な南部のウイスキー」と称えています。
ラインナップのなかでも、とくに12年物のヴェリー・ヴェリー・オールド・フィッツジェラルドの人気はいまだに衰えておらず、バーボンとしては驚くほどの高値で取引されています。

ちなみに、バーボンがトウモロコシ以外の穀物も使っているのは、風味づけというよりも、マッシングのさい、トウモロコシは糖化しにくいので、発酵を促すスターターの役目で混ぜたのが本来の目的です。連邦法で定められている、コーン・ウイスキーのトウモロコシの比率が80パーセント以上、つまり、20パーセントはほかの原料が認められているのも、同じ理由からでしょう。
また、蒸留所の創業年が1870年にもかかわらず、ボトルラベルのそれが1849年になっているのは、W・L・ウェラー・アンド・サンズ商会の創業年が同年で、バーボンではありがちな、老舗を少しでも強調したいがための表記です。スコッチではほとんど見かけない、「オールド」と名づけられた銘柄が多いように、歴史が浅く伝統への憧れが強いアメリカならではの慣行です。
とにかく、なにかと語りたいお気に入りのシリーズなので、これからも何度か取り上げるつもりです。
シリーズ・リスト
「ブルー・ドレスの女」 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1993
「赤い罠」 早川書房 1994
「ホワイト・バタフライ」 早川書房 1995
「ブラック・ベティ」 早川書房 1996
「イエロードッグ・ブルース」 早川書房 1998



