2009年07月15日
一人のための正義

元ニューヨーク市警警官のジャック・デヴリンは、兄のジョージが飲み歩いている間に何者かの暴行を受け、瀕死の重傷を負ったことを知った。兄の足跡をたどると、明け方から昼にかけて営業する違法深夜クラブの存在が浮かび上がってきた。自らの手による報復を決意したデヴリンは、犯罪の渦まく街の裏側を支配する魔窟、深夜クラブの只中へと踏み込んでいく。
裏表紙ストーリー紹介より
「全篇を通じて肉と肉がぶつかり合い、骨が鳴り、血しぶきと汗が飛び散る、さながらヘビー級ボクシングの壮絶な試合を見るような迫力とスリルに満ちた一級ヴァイオレンス・ノヴェルである」という、訳者の真野明裕氏のあとがきそのままのハードボイルド小説です。ただし、一級かどうかは読者の好みにもよるでしょう。ぼくはスピード感に欠けると思いました。単純な復讐劇なのに、5百ページはちょっと長すぎます。
二人ともべろべろに酔っていた。愛する者に死なれたときに往々にしてあるような、泥酔状態だ。飲みだしたのは、市の北のラーチモントにある教会での告別ミサのすぐあとだった。一族の者や友人たちと午後じゅうずっと、夕方まで飲みつづけた。一族の多くは長年ジャックに会っていなかったので、彼がその場にいること自体、父の死におさおさ劣らぬ、一つの出来事になっていた。
みんながようやく引きあげると、兄弟はよそゆきの顔をやめて、ジョージの家の裏庭にいっしょに腰を下ろし、なおも飲みつづけたがピッチは落ちた-悲しみだか怒りだかに駆られる切迫感も、弔問客や一族に囲まれている心理的負担もなくなったためだ。
二人は裏庭の白かびが生えた寝椅子二つに並んで坐り、アイリッシュ・ウィスキーのジョン・ジェームスンの瓶をお互いの間の芝生の上に置いて、しゃべった。暑い夏の日射しがそろそろ薄れかけた頃、ジョージの子どもたちがパジャマ姿で一人ずつ庭に降りてきた。父親からそれぞれ酒臭いキスと荒っぽい抱擁の洗礼を受けた。
とはいえ、人物は描けているのでそれなりには楽しめました。
現在のジェイムソンは、ブレンディッド・スコッチをライバルとして、1974年におもに北米に向けて発売された、「ノース・アメリカン・ブレンド」です。
その思惑は奏功し、アイリッシュ・ウイスキーの市場では7割ものシェアを占めるまでになりました。
ちなみに、アイリッシュ・ウイスキーで初めてのブレンディッド・ウイスキーはタラモア・デューといわれ、これもまた、アメリカ人の嗜好に合わせて、ポットスティル・ウイスキーからブレンディッドにスタイルを変えました。詳しくは、タラモア・デューが登場する作品を取り上げたさいにふれるつもりです。

シリーズ・リスト
「一人のための正義」 ハヤカワ・ミステリアス・プレス文庫 1993
「無法地帯」」 ハヤカワ・ミステリアス・プレス文庫 1995
2009年05月19日
ジグが来る

北アイルランド紛争は冒険小説の大きなモチーフで、東西冷戦が終わってからはとくに目立つようになりました。このブログでも、ジョン・クリードの「シリウス・ファイル」、リック・ボイヤーの「ケープ・コッド危険水域」、ジャック・ヒギンズの「黒の狙撃者」、スティーヴン・レザーの「チャイナマン」などを記事にしましたし、近いうちに、バーナード・コーンウェルの「見果てぬ緑の地」も取り上げる予定です。
というわけで、今回の「ジグが来る」も、IRAのテロリストが主役の一人の物語です。
IRAがアメリカのシンパから集めた一千万ドルが、大西洋上で何者かに強奪されます。事情に通じていたのはひと握りの人間だけで、彼らのなかに裏切り者がいると睨んだIRAの幹部は、凄腕の暗殺者、ジグにアメリカでの調査を命じます。
いっぽう、IRAの動きを掴んだスコットランドヤードも、ジグの逮捕に執念を燃やす取締官、ペイガンを派遣します。
ジグとペイガンの追跡劇に、FBI、そして、IRAと対立する北アイルランドのプロテスタントの民兵組織、FUV、自由アルスター義勇軍が入り乱れ、事件は複眼的に進んでいきます。
めったにやらぬ酒をやるとき、ジグという名の男は、ジェイムスンのアイリッシュ・ウィスキーをえらぶ。ロンドンからウェールズのホリヘッド-そこからフェリーでアイルランド海をダブリンへ渡る-へ向う列車の、からっぽのビュッフェで、ウィスキーをときどき舌の上にあそばせながらちびちび飲んだ。彼は自分ひとりきりなのを意識しつつ、車内を眺めやった。
裏切り者の正体には早ばやと気づいてしまったけれど、冒険小説にフーダニット、犯人探しの面白さはあまり求めておらず、それよりも、音楽的というか詩的というか、全編に漂うアイルランドらしい叙情性がぼくの好みには合いました。
映画に喩えるなら、ジグをキリアン・マーフィー、ペイガンをリーアム・ニーソンあたりが演じて、「パトリオット・ゲーム」みたいなタッチで描いたら、作品のイメージにかなり近いでしょうか。
「一杯どう」と、彼女はきいた。
「もう飲みすぎた」
「みんなアイルランド問題ということをいうけど、的はずれだわ」と彼女はいって、グラスをしめし、「このほうがよっぽどアイルランド問題よ。ジェイムスンの百薬の長」
英国政府とシン・フェイン党の歩み寄りによって、ここしばらく平穏だったアイルランド問題も、アイルランド経済の失速もあってか、なにやらキナ臭さが漂いつつあります。
ミステリーの読者ほど「他人の不幸は蜜の味」の言葉がぴったりの人種はいないと思いますが、これ以上、現実の世界でミステリーの題材になるような悲劇だけは繰り返してほしくないですね。
シリーズ・リスト
「ジグが来る」 文春文庫 1989
「白夜が明ける」 文春文庫 1991
2009年04月16日
マンハッタン・ブルース

雪の降りつもる夜、突然かつての恋人が連絡をとってきた。電話では話せないから会ってくれ、という。約束の店で、私は待った。が、二時間以上たっても彼女は来ない。たまらなくなって電話すると、別の女性が出てきた。事故があったのだ。私に会うために車を飛ばす途中、ブルックリン橋でガードレールに激突し、命を落とした、という。もちろん私はその話を信じなかった。彼女は私に何かを伝えたがっていた。そうしてほしくない何者かが、それを阻止したのに違いない……。
裏表紙ストーリー紹介より
鉛筆を暖炉に投げこんでキチンに足を運び、すりガラスのグラスに氷をいくつか落とした。その上からジョン・ジェイムスンを少しつぎ、水を加えてかきまぜる。ぐっとあおって音楽に耳を傾け、グラスを干し、また最初からその手順をくり返した。
1980年代、ボブ・グリーンとともに、「ニューヨーク・スケッチブック」などで日本でもブームになった、ピート・ハミルのハードボイルド小説です。

ミステリー小説には以前から興味があったらしく、このサム・ブリスコー・シリーズも3作まで発表しています。アメリカでは純文学と大衆文学のあいだの垣根が低いようで、ポール・オースターも、処女作の「Squeeze Play」や「シティ・オブ・グラス」はミステリーですね。
コラムニストとしては一流のライターだけに、さぞかし面白かろうと思いきや、予想していた作風とまったく異なっていたのに面食らいました。
主人公が新聞記者にしてはタッチが暴力的にすぎ、どこかすかした感じも生理的に受けつけません。次作の「血の胸飾り」にしても、都会派なのだから、物語の舞台をメキシコやプエルト・リコくんだりまで拡げずに、ニューヨークで完結させていたほうがよかったでしょう。
シリーズ・リスト
「マンハッタン・ブルース」 創元推理文庫 1983
「血の胸飾り」 創元推理文庫 1991
「天国の銃弾」 創元推理文庫 2003



