2010年03月09日
サンドリンガム館の死体

バンクーバー・オリンピックの開催中に、何回かにわたってカナダのミステリー作家とカナディアン・ウイスキーを紹介するつもりだったのが、ディック・フランシスの突然の訃報と、件の二日酔いですっかり予定が狂ってしまいました。でも、せっかくだからあと一作、おつき合い願います。
エリザベス女王の別邸での休暇が台無しだーティアラまでつけた女王そっくりの死体が、領内で発見されたのだ。最近、王室を攻撃していた過激団体の仕業なのか? メイドのわたしは女王の命令で、密かに調査を始めた。やがて、死んだ女性の謎の多い生活ぶりが明らかになるが、その直後、第二の殺人が!
カヴァーあらすじより
エリザベス2世に仕えるメイドで、ロイヤルレジデンスで起こった殺人事件の犯人を女王の耳目となって追いかける、元気いっぱい好奇心いっぱいのカナダ娘、ジェイン・ビー・シリーズの第2作です。
本当はエリック・ライトの作品を選びたかったのですが、邦訳されているトロント市警のソールター警部シリーズの4作と、ノンシリーズの「ロージー・ドーンの誘拐」にウイスキーを飲む場面がまったく見当たらず、記事の切り口を思いつかなかったので今回は諦めました。
前作の「バッキンガム宮殿の殺人」で、畏れ多くもエリザベス女王を殺人事件の第一発見者にしちゃったベニスンは、本書では、よりにもよって女王の仮装をした死体と女王を対面させます。
ロイヤリストの批判をものともしない作家の勇気に敬意を表しつつも、女王の身辺に死体がごろごろ転がっているあり得ないシチュエーションのはずが、女王の寝室に男が侵入したり、SPがジャーナリストに買収されたりと、英国王室の警護の甘さをしょっちゅう耳にしているだけに、法螺話だと一笑にふせられないあたりが、いかにも「開かれた王室」ならではの物語ですね。
主人公、エリザベス女王をはじめキャラクターがよく描けていて、女性らしい生きいきとした会話が魅力です。現実に起きた王室を狙ったIRAのテロ絡みのミステリーに比べれば、よほど罪がないでしょう。
「デイヴィー、ふらふらしてるわよ」しばらく観察したあとで、わたしはついに声をかけた。彼は思わずテーブルの端をつかんで目を閉じた。体が揺れている。
「インフルエンザにやられたらしい」デイヴィーはいった。
ナイジェルがおおげさに目を丸くして、「ふ・つ・か・よ・い」と、口の動きでわたしに伝えた。
「ナイジェル、わかっているんだぞ、その口の動き。二日酔いなんかじゃないよ」
「ゆうべはご酩酊のようすだったじゃないか」ナイジェルはおもしろがっていった。「ぐでんぐでんのへべれけ。足を取られてー」
「そんなに並べてくれなくてもけっこうだよ」
「-あっちにふらり、こっちによろり。前後不覚。人事不省。右も左もわかりゃしない」
「いいかげんにしろ!」キッチンのほうから、エリックが低い声で叱責した。「今、女王が入ってらしたらどうするつもりだ?」
デイヴィーはうめき声をもらした。「ああ、女王のためにしゃんとしなくちゃ」
「あなたたち、今度は何をやってたの?」わたしはグラスを手に取って窓のほうに透かして見た。洗っていないらしく、すっかり曇っている。それをわきにのけた。
「ゆうべ、ラジオのトーク番組に電話で参加しようとしていたんだ。テーマは“あなたがクリスマス休暇に一番寝たい相手は誰?”」
「そうねえ、わたしだったらジョージ・マイケルかな」
「驚いた! デイヴィーとおんなじこといってる。もっとも……」ナイジェルはくすくす笑い出した。「デイヴィーはすっかり酔って……。お母さんがー本当のお母さんのシルヴィアのほうだけどー送ってくれたラフロイグに酔っ払って、電話機の番号を押せなかったんだ。おっと」
手袋をはめたナイジェルの手から、フォークが高い音を立てて寄せ木の床に落ちた。
ぼくもラフロイグを1本開けて、数日、死体の気分で過ごしたことがあります。なにせ、あのクレオソート、防腐剤臭ですから。
アイラ・モルトの二日酔いの辛さは言葉で言い表せません。しばらくはラフロイグのボトルを見るのも厭でした。
それにしても、カナダの女流作家のコージー・ミステリーにも登場するなんて、ラフロイグもずいぶん有名になったものです。ただ、ここで取り上げたいウイスキーはラフロイグではなく、カナディアン・クラブです。
英国が舞台のミステリーで、なぜ、カナディアン・ウイスキーなのかといえば、小説の舞台が、カナディアン・クラブの生みの親、ハイラム・ウォーカーとゆかりの深い地方だからです。
サンドリンガム館は、ロイヤル・ロッホナガーがビクトリア女王からワラント、勅許状を下賜されたエピソードで知られる、スコットランドのバルモラル城と同じく、エリザベス女王のプライヴェートな別荘で、イングランド東部、ノーフォーク州の州都ノリッジの北西にあります。女王は夏はバルモラル城で、冬はサンドリンガム館で数週間を過ごすのが恒例です。
ノリッジは、じつはウォーカー一族の出身地だと伝えられています。
ハイラム・ウォーカーは、1816年にマサチューセッツ州のイースト・ダグラスで生まれました。
十代の半ばでデトロイトに出て衣料品店などで働き、製粉所とアップル・ビネガーの醸造所、雑貨店の経営を始めます。さらに、ウイスキー造りを手がけようとしました。しかし、ミシガン州での禁酒令の発布が迫っていたため、1856年、デトロイト川を挟んでミシガンの対岸、カナダのオンタリオ州ウィンザーに蒸留所を建設しました。
蒸留所を中心に発展した町は、1935年に市制化されたさい、ウォーカーの功績を称えて公けにウォーカーヴィルと命名されています。
ウォーカーが発売した5年もののウォーカーズ・クラブ・ウイスキーは、アメリカとカナダのおもに会員制のクラブで販売され、品質の高さで人気を博しました。
税収を得られないアメリカ政府にとっては面白かろうはずがなく、生産国名をラベルに表記することを義務づけます。ところが、当時のアメリカン・ウイスキーの多くは1年足らずの熟成で出荷されていたので、図らずも高級品として差別化でき、役人の思惑に反してウォーカーズ・クラブ・ウイスキーの売上げはいっそう伸びたのでした。
1890年、ウォーカーはブランドネームをいまのカナディアン・クラブに変更します。
さて、ハイラム・ウォーカー社とカナディアン・クラブについての説明はいったん終わりにして、さきのジョン・ベッグと王室の関わりにちょっと触れておきます。ウスケバのブロガーの皆さんには釈迦に説法だけれど。
グランピアン山脈の北麓を縫いつつ北海に流れるディー川の流域のクラティに、1845年、地元の農場主のジョン・ベッグがニュー・ロッホナガー蒸留所を創業しました。
3年後の1848年の9月、ビクトリア女王が夫君のアルバート公や子女とともに蒸留所に立ち寄ります。近くのバルモラル城に滞在していたロイヤル・ファミリーが、ベッグの招きに応じて見学に訪れたのでした。
そのときの様子をベッグはつぎのように書き残しています。
「陛下のお許しがあったので、私は早速用意しておいたウイスキー一びんとグラスを運ばせ、女王陛下にささげた。陛下は味わわれた。アルバート公も味わって下さった。ついで私は第一王女、皇太子、アルフレッド公に順にグラスをおわたししたところ、各殿下とも味わって下さった」
ウイスキー博物館 梅棹忠夫 開高健 監修 講談社
この出会いがきっかけで蒸留所は王室ご用達の栄誉を許され、エドワード7世とジョージ5世からもワラントを賜っています。ディーサイドにはほかにも蒸留所が操業していたものの、ジョン・デュワー&サンズ社、DCL、ユナイテッド・ディスティラー社とオーナーが次つぎと代わりながらも、ロッホナガーだけが生き残れたのは、やはりロイヤル・ワラントの威光のなせるわざでしょう。
シリーズ・リスト
2009年08月09日
死 角

底冷えのする十一月の朝、その見知らぬ娘の死体は、湖辺の葦の茂みの間に無造作に捨てられていた。財布の中にはなぜか私の名刺が……。事務所に帰った私を待っていたのは、交通事故を起した弟の身辺警護をしてほしいという、女性からの依頼だった。しかし彼のあとを尾けた私が発見したのは、もう一つの死体―
裏表紙ストーリー紹介より
ビル・プロンジーニの名無しの探偵シリーズの第6作です。
ネオ・ハードボイルドを代表するシリーズで、1980年代までは日本でも人気が高く、初期の作品はいずれもかなりの版数を重ねていますし、小説新潮に書き下ろしの短編と長編が連載されてもいます。ただ、1990年以降、邦訳されたのは「凶悪」と「幻影」のわずか2冊のみです。
本国では、今年も新作の「Schemers」が発表されています。第1作の「誘拐」ですでに47歳だった名無しの探偵なのに、いまだに現役を続けているわけで、愚痴をこぼしつつ老体に鞭打つ姿を想像するだけで、なおさら読んでみたくなりますね。
ドアをひらいて、中をのぞきこんだ。紙や筆記用具の散らばったデスクを前に、鉛筆を耳にはさんだ、でっぷりとした男が坐っていた。目の前には、ひらいた帳簿が置いてある。デスクの隅には、カナディアン・ウィスキーの壜と並んで、中身の半分入ったグラスも置かれていた。ちらっとこちらを見やった男は、ウィスキーの壜に目を転じて顔をしかめ、両手をぺたっと帳簿の上に置いた。この会社のオーナーのくせに、執務中酒を飲んでいるところを他人に見られたのが気になるのだろうか。
以前、取り上げた「幻影」と同じく、ウイスキーが物語のキー・アイテムになっています。
さる有名なブランドで、全体が茶色い地で、黒い線でふちどりされているカナディアン・ウイスキー、といえば、まず、カナディアン・クラブでしょう。
最近、このウイスキーを飲む機会があったのですが、カナディアンらしいフレーヴァーがめっきり乏しくなっていて落胆しました。カナディアンよ、おまえもか。ですな。
ところで、更新の間合いが空いているので、今後の予定を挙げておきます。
次回は、コリン・ウィルコックスのヘイスティングス警部シリーズの「暗殺者は四時に訪れる」でロイヤル・サルート、

次いで、S・J・ローザンのリディア・チンとビル・スミスのシリーズの「ピアノ・ソナタ」ほかでメーカーズ・マーク、

さらに、ピーター・ロビンスンのバンクス主席警部シリーズの「エミリーの不在」でラフロイグ、のつもりです。まだ、どれも記事は書いていないけれど。

紹介したいミステリーを指折り数えてみたら、月に3、4回のペースならあと3年はだらだらと続くことになりそうです。面倒でもいましばらくおつき合い下さいませ。
シリーズ・リスト
「誘 拐」 新潮文庫 1977
「失 踪」 新潮文庫 1978
「殺 意」 新潮文庫 1980
「暴 発」 徳間文庫 1987
「依頼人は三度襲われる」 文春文庫 1980 コリン・ウィルコックスとの共著
「死 角」 新潮文庫 1981
「脅 迫」 新潮文庫 1983
「名無しの事件ファイル」 新潮文庫 1984 中編集
「迷 路」 徳間文庫 1987
「標 的」 徳間文庫 1988
「追 跡」 徳間文庫 1988
「復 讐」 徳間文庫 1985
「亡 霊」 徳間文庫 1989
「ダブル」 徳間文庫 1989 マーシャ・マラーとの共著
「骨」 徳間文庫 1989
「奈 落」 徳間文庫 1990
「報 復」 徳間文庫 1990
「凶 悪」 講談社文庫 2000
「幻 影」 講談社文庫 2003



