2009年01月07日
フィッツジェラルドをめざした男

もしかしたらあなたは、僕のことを覚えておいでかもしれない。いや、やはり、忘れてしまわれたかもしれない。一時期僕は、「ファミリー・エンタープライズ」という小説で華々しくデビューを飾った、すらりと背の高いさっそうとした新進作家として、脚光を浴びていた。「タイムズ」は僕のことを、「八〇年代を拓く新しい文学の旗手」と呼んだ。そして僕は、あのチャーミングなメリリー・ナッシュと結婚した。彼女はシェークスピア劇で有名な演出家、ジョー・パップが当時世に送り出した、一番新しい、一番魅力的な、トップ女優だった。僕たちはそうして、ニューヨークの半分が最も素敵と憧れるカップルとなった。僕はすべてを手にしたのだ。
だがそれから、破綻がきた。干上がった。僕には突然何の力もなくなった。二作目が書けない。メリリーが別れると言う。彼女はセントラル・パークを一望のもとにする八部屋あるマンションと、一九五八年型の赤のジャガーXK一五〇を持っていった。そうしてマメットの芝居ではトニー賞を受賞し、さらにウッディ・アレンの映画では、アカデミー賞を受賞した。若くシャープな脚本家、ザックなんとかと再婚もした。要するに彼女は、その後もすべてを手にしていた。
一方僕の方は、ルルを引き取り、西九十三丁目の、エレベーターもない、すきま風の吹き込むアパートの五階に住み、少々格が落ちると思われる第二の仕事を始めたのだった-有名人の回想記を書くゴーストライター、という仕事である。
ゴーストライター探偵、スチュアート・ホーグが主人公のシリーズの第3作、邦訳は2作目にあたるのが、この「フィッツジェラルドをめざした男」です。
第1作の「笑いながら死んだ男」は一世を風靡したコメディアン、前作の「真夜中のミュージシャン」は伝説のロック・ミュージシャンと、有名人に回顧録の執筆を頼まれ、ついでに事件に巻きこまれるパターンは今回も変わらず、アメリカの文壇に彗星のごとく現れた、若き天才作家の手記を手伝っているあいだに、続けざまに殺人がおきます。
デスクのひきだしには、ライ・ウィスキー「オールド・オーヴァーホルト」のボトルが入っていた。ボイドはボトルを傾けてたっぷりとコーヒーに注ぐと、僕にボトルを差し出した。それをちょうど受け取ろうとした時、横から、低くかすかな唸り声が立ちのぼってきた。ああ、僕の保護者だ。僕が昔の自堕落な生活に逆戻りしてしまうことを心配しているのだ-かつて何もかもがだめになってしまった時、僕はアルコールにおぼれていたことがあったのだった。僕はルルをにらんだ。即座にルルは歯をむき出して僕をにらみ返した。今にも飛びかかろうとしているガラガラヘビからティミー少年を救おうとしている、名犬ラッシーさながらだ。僕は、負けた。
皮肉屋でいつも不遜な態度のホーギーは、ただでさえ複雑な人間関係をさらにややこしくしてばかりいます。しかし、そんな彼にも、どうしても逆らえない相手がいます。
その一人、もとい一匹は、大切なパートナーのバセットハウンドのルルです。リリアン・J・ブラウンのシャム猫ココやマイケル・ボンドのブラッドハウンドのポムフリットみたいに、調査の手伝いはまったくできないけれど、物語に欠かせないマスコット的な存在ですね。
そして、もう一人は元妻のメリリーです。たまに再会すると、ホーギーはルルと一緒になってちぎれんばかりに尻尾を振っています。
「ここでショーの後半とこのキャビアを、あなたと一緒に楽しむのよ」シャンペンを飲みながらメリリーは言う。「それからあなたを東十三丁目の『キャット・クラブ』へ連れて行くの。あそこはダンス・フロアがあるし、大編成のスウィングの生バンドも入っていて、いつもすごく楽しく盛り上がってるでしょ。その後もまだあなたの足腰が立って、私にやさしくしてくれたら、今度は『ラトナーズ』へ行って、サケの燻製とタマネギと卵料理の大盛りをおごってあげる。そうしてあなたのアパートまで送ってあげるわ」メリリーは自分でシャンペンを注ぎ足す。「でもとにかく、もし私があなただったら、ここはまずそろそろシングル・モルトに切り替えるわね。ここには素敵なグレンモーレンジがあるはずよ」
「メリリー……?」
「なあに、あなた」
僕はしばらく彼女の緑の瞳の中におぼれた。「君は僕が知っている人間の中で一番悪くない人だ」
メリリーはにっこりほほえむと、僕の手を握った。「今の、あなたが私に言ってくれたことの中で、二番目にうれしいものだったわ、ホーギー」
「一番は、何て言った時の?」
「『今のは足の爪の先まで感じたぜ』」
「メリリー、君、ずいぶんいたずらっぽくなってきたな。昔はそんなこと言わなかったのに」
「ほんとね。なんだか変かしら?」
僕はボーイをつかまえると、グレンモーレンジをダブルでたのんだ。グラスが運ばれてくると僕は一息で飲み干し、さらにもう一杯注文した。
今夜はルルも、そんな僕を、とがめはしなかった。
彼女たち以外にも、家政婦のパメラ、ボディガードのヴィック、ニューヨーク市警のヴェリー警部補といったレギュラーのキャラクターに加えて、「笑いながら死んだ男」のソニー・デイ、「真夜中のミュージシャン」のトリス・スカー、本作のキャメロン・ノイエス、「傷心」のソアら、それぞれの作品の脇役まで、人物がしっかり描けているからこそ、スタイリッシュな作風がより映えるのでしょう。
シリーズ・リスト
「笑いながら死んだ男」 講談社文庫 1992
「真夜中のミュージシャン」 講談社文庫 1990
「フィッツジェラルドをめざした男」 講談社文庫 1992
「猫と針金」 講談社文庫 1993
「女優志願」 講談社文庫 1995
「自分を消した男」 講談社文庫 1999
「傷 心」 講談社文庫 2001
「殺人小説家」 講談社文庫 2005
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この記事へのコメント
ご無沙汰しております。
あけ過ぎましたが、おめでとうございます。
というか、気付くのが遅すぎでしたが、復帰おめでとうございます。
ハンドラーは「笑いながら~」と「真夜中の~」を読んで、
何故かそこで止まっていたのに気付きました。
これを機に「フィッツジェラルドを~」を探して読もうかなと。
(ついでに言うとフリーマントルのチャーリー・マフィン物も
2作目までしか読んでいないことに気付きました)
そんなわけで、また宜しくお願いいたします。
あけ過ぎましたが、おめでとうございます。
というか、気付くのが遅すぎでしたが、復帰おめでとうございます。
ハンドラーは「笑いながら~」と「真夜中の~」を読んで、
何故かそこで止まっていたのに気付きました。
これを機に「フィッツジェラルドを~」を探して読もうかなと。
(ついでに言うとフリーマントルのチャーリー・マフィン物も
2作目までしか読んでいないことに気付きました)
そんなわけで、また宜しくお願いいたします。
Posted by 加藤篁 at 2009年01月08日 22:33
むう、この未練たっぷりなところがよいですねえ
巻き込まれ型なのかな?
グレンモランジかあ 呑んだことないなあ 北方謙三の『ふたたびの荒野』だとこれのカスクストレングスにマッチで火をつけて青い炎を燃やすシーンがでてきます
本と一緒に楽しんでみたいなあ
巻き込まれ型なのかな?
グレンモランジかあ 呑んだことないなあ 北方謙三の『ふたたびの荒野』だとこれのカスクストレングスにマッチで火をつけて青い炎を燃やすシーンがでてきます
本と一緒に楽しんでみたいなあ
Posted by あっきー at 2009年01月10日 11:00
>加藤さん
明けましておめでとうございます。、と申しますか、たび重ねる非礼をお詫びいたします。ブログの再開をご報告しようとも思いましたが、ちょっと照れくさかったもので。
また遊びに伺わせていただきます。
>ハンドラーは「笑いながら~」と「真夜中の~」を読んで、
何故かそこで止まっていたのに気付きました。
ハンドラーは初期の3作が面白いです。ミステリーとしては「猫と針金」の出来がもっとも優れていると思いますが、このシリーズに求めるのは謎解きの愉しみではないですからね。
「自分を消した男」以降は、ファンなら許せる、といったレベルでしょうか。
>(ついでに言うとフリーマントルのチャーリー・マフィン物も
2作目までしか読んでいないことに気付きました)
それで十分かも。
こちらこそ宜しくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。、と申しますか、たび重ねる非礼をお詫びいたします。ブログの再開をご報告しようとも思いましたが、ちょっと照れくさかったもので。
また遊びに伺わせていただきます。
>ハンドラーは「笑いながら~」と「真夜中の~」を読んで、
何故かそこで止まっていたのに気付きました。
ハンドラーは初期の3作が面白いです。ミステリーとしては「猫と針金」の出来がもっとも優れていると思いますが、このシリーズに求めるのは謎解きの愉しみではないですからね。
「自分を消した男」以降は、ファンなら許せる、といったレベルでしょうか。
>(ついでに言うとフリーマントルのチャーリー・マフィン物も
2作目までしか読んでいないことに気付きました)
それで十分かも。
こちらこそ宜しくお願いいたします。
Posted by THE WHISKEY at 2009年01月14日 01:10
>あっきーさん
>むう、この未練たっぷりなところがよいですねえ
たっぷりです。身につまされます。
>グレンモランジかあ 呑んだことないなあ
シングルモルトのなかでは、一番好きなウイスキーです。それなりにクオリティを保っている数少ないウイスキーなので、ぜひお試しください。
>北方謙三の『ふたたびの荒野』だとこれのカスクストレングスにマッチで火をつけて青い炎を燃やすシーンがでてきます
近々、クラムリーの記事でも紹介します。
>むう、この未練たっぷりなところがよいですねえ
たっぷりです。身につまされます。
>グレンモランジかあ 呑んだことないなあ
シングルモルトのなかでは、一番好きなウイスキーです。それなりにクオリティを保っている数少ないウイスキーなので、ぜひお試しください。
>北方謙三の『ふたたびの荒野』だとこれのカスクストレングスにマッチで火をつけて青い炎を燃やすシーンがでてきます
近々、クラムリーの記事でも紹介します。
Posted by THE WHISKEY at 2009年01月14日 01:16



